鉾衝神社
ほこつきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鉾衝神社 甲斐国 八代郡鎮座

   【現社名】鉾衝神社
   【住所】山梨県笛吹市八代町米倉 782
       北緯35度36分26秒,東経138度38分8秒
   【祭神】天鈿女命
   【例祭】11月3日 秋季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】仁徳天皇4年4月の創建
       慶長8年(1603)神主・屋敷証文をうける
       明治元年旧名に復した
       明治6年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「矛立明神」「鉾立明神」「鉾衝明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・神庫

   【境内社】道祖神・護国神社

浅川中学校西に鎮座する。
仁徳天皇4年4月勧請、延喜式内の古社なり。武田家累代鎮城の社として崇敬篤かりき。


由緒

仁徳天皇4年(424年頃)創立と伝えられ、御祭神にあめのうずめのみことを祀る町内唯一の延喜式内社である。
昔は源家代々の祈願所として隆盛し、武田家の頃は米倉氏により社殿等が整えられ、徳川時代には歴代将軍の崇敬を得て神領の寄進を受けていたことが伝えられる。
幕末の頃、災火にあい社殿、宝物、古文書等を焼失したが明治34年に現在の社殿が再建された。境内に大神社、稲荷社、天神社、阿夫利神社、蚕影神、道祖神等がまつられている。本殿裏には山梨県指定天然記念物の樹齢800年といわれた大けやきがあったが落雷等により枯死し、昭和56年に指定解除となった。
本殿東に八代町指定有形民俗文化財の米倉に昔から伝わっていた人形芝居の用具保存庫があり、あやつり人形の頭42及び衣装道具一式と三番叟の人形3体が保存されている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




八代町指定文化財

民俗資料
米倉の人形芝居用具
所在地 八代町米倉782
所有者 保存会長米倉区長
指定 昭和39年2月20日
この人形芝居は、あやつり人形と三番叟とがあり、江戸中期頃に発祥したと伝えられ、当時の名主の保護奨励を受けて、村の若衆により伝承されてきた、しかし明治になり次第に衰微し、人形芝居は明治17年、三番叟は明治42年頃迄行われたが、その後絶えている。
用具は昭和40年にこの保存庫へ移されるまで須田芳邦氏宅に保存され毎年一回土用に青年団の手により虫干しが行われてきた。
現在三番叟の人形三体、人形芝居の頭43ヶ衣装、道具一式が保存されているが、いずれも逸品で往時の隆盛をしのぶことが出来る。
昭和47年4月1日
八代町教育委員会

社頭掲示板



鉾衝神社

仁徳天皇4年4月勧請、延喜式内の古社なり。武田家累代鎮城の社として崇敬篤く特に米倉氏の氏神にして度々修繕あり。旧には8月5日北斗祭として米倉氏武運長久の祭事等が斎行された。武田家滅亡後、徳川家代々よりの崇敬を得て御朱印社領四石三斗余頂戴する。明治6年郷社に列せられる。境内本殿正背面の神木は「鉾衝神社けやき」として昭和36年12月県指定天然記念物となるが昭和50年の台風五号の為折損。

山梨県神社庁



桙衝神社

桙衝は保古都岐と訓べし○祭神天鈿女命、(風土記)○米倉村に在す、(同上)例祭月日○惣國風土記六十二残欠云、八代郡桙衝神社、圭田三十六束三畝田、仁徳天皇4年丙子4月、始所祭天鈿女命也、(以下脱)
類社
陸奥國磐瀬郡桙衝神社

神社覈録



郷社 鉾衝神社

祭神 天鈿女命
創建は仁徳天皇御宇4年丙子4月にして今を距ること1580余年前の創立なりと云ふ。(社記)延喜の制式の小社に列し、当国廿座の一たり、古來当村の総氏神にして、中世矛立明神と称せしが、甲斐名勝志撰輯以来、鉾衝明神と改め、又明治元年現社名に復称せり、(延喜式には鉾衝神社とあり、)明治6年郷社に列す、歴代の神職は、甲斐源氏米倉丹波守の支流、米倉喜藤太の末裔にして、明治維新の際迄は、其子孫の世襲たり。
本殿、拝殿等の建物を具へ、境内地は616坪(官有地第一種)にして、其四囲は古杉老木散在し、本殿背後に御神木と称する喬木あり、風致備はれり。(同郡錦村郷社美和神社の條参照すべし)

明治神社誌料



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