一宮北小学校南に鎮座する。 社伝によれば、垂仁天皇7年の勧請。 天慶年中(937−47)征東大将軍藤原忠文を平将門追討に派遣したとき、朱雀天皇幣帛を奉り祈願したという。 |
由緒 飛永明神と号し大己貴命、少彦名命を合幣し垂仁天皇7年正月甲子の日勧請せし大社にして延喜式甲斐二十社の一社であり、天慶年中藤原忠文、平将門征討の時奉幣ありしという、新羅三郎義光以来武田氏代々崇敬厚く社領を寄せられしこと多かり、本殿は唐破風桧皮葺江戸初期)拝殿は明治40年新築規模大ならずといえども宮殿の形体においては劣ることなく自ら神威の尊く仰しむるに足る。境内に中尾道祖神社と中尾天神社奉遷したるなり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
中尾神社略記 御祭神 大己貴命 少彦名命 配祀 道祖神 天満宮 山神社 大神社 旧社格 村社 延喜式甲斐二十社の一社 鎮座地 一宮町中尾字上手1331 境内面積 1872平米(567坪) 御由緒については飛永明神と号し垂仁天皇7年正月甲子の日勧請し古くは延喜式神名帳にも見ゆる大社にして、天慶年中(938−46)藤原忠文、平将門征討の時奉幣あり、新羅三郎義光以来、武田氏代々に崇敬厚く社領を寄せられた。 本殿は唐破風桧皮葺、江戸初期の建築、拝殿は明治40年改築し、規模大ならずと雖も宮殿の形体に於いては欠くる所なく自から神威の尊さを仰明治4年当地に奉遷し、1月14四、15日はお蚕の神様として近郷に知られた大きな祭であるが、近年は寧ろ交通安全の御神徳が大である。また昭和57年天神社を境内に遷祀し、家内安全、果実の豊作、交通安全、学問の向上等信仰が篤い。 平成6年10月吉日 一宮町教育委員会 社頭掲示板 |
中尾神社 垂仁天皇7年正月甲子日勧請。醍醐天皇の御宇延喜式神名帳所載の中尾神社なり。天慶年中藤原忠文東征に当たり幣帛を奉せりと云ふ。新羅三郎義光以降武田家代々崇敬、社領を寄進す。徳川家に及びても旧例を継ぐ。明治4年管領により従来の社領を上知す。境内に道祖神あり毎年1月15日直近の祝祭日 土日曜日二日間多数の人出で賑ひを見せる。 山梨県神社庁 |
中尾神社 中尾は奈加哀と訓べし○祭神大己貴命、(名勝志)○中尾村に在す、今飛永明神と称す、(同上)例祭 月日 社領 当代御朱印高八石余 神社覈録 |