『甲斐國古社史考』で東八代郡中道町右左口の圓樂寺境内の五社大権現を、有力論社として掲げられている。寺傳で役小角富士登山に當り、ここで行法を修め、九一色郷を経て登頂したことより、修験道で富士初地とするが、それは「富士山に対して、此所を表門と称せしやも知るべからず。」としての新しい論社の提唱であるが、この修験と結びつけてのみでは根拠薄弱とせざるを得ない。(式内社調査報告) 円楽寺の反対側の山上に鎮座する。明治の神仏分離の時寺の管理を離れたという。 |
熊野神社(五社神社) 御祭神 武甕槌大神 伊邪那岐大神 天照皇大神 伊邪那美大神 経津主大神 祭起沿革 大宝3年役小角この所に至りて富士山霊峰(木花咲耶姫神)の御神体を初めて開山することに当たり右の五ヶ所の権現様に心願奉りて無事に開山せられ茲に大願成就の為に小角が我が屋敷神として発起したとある。 後明治8年勅令に依り神仏混合相成らずとの命令にて開山祖師の役小角を円楽寺開山祖師として祭神とは分離したり。仍て村内氏神と称してその御神徳を蒙らせ載き奉って居ります。 本殿は権現造で文政3年(1820)に建立したものである。 拝殿は、昭和18年の再興で現在に至っている、例祭の11月3日には宿・七覚・巻藤の三区により当番組員によって神輿の渡御が行われる。 王子神社 祭神 少彦名命 (すくなひこなのみこと)医薬治病の神 大国主命 (おゝくにぬしのみこと)本土の神 素盞嗚命 (すさのうのみこと)武 神 社頭掲示板 |
王子権現の大サクラ 五社神社の参道にもなつているこの場所は、地元では「王子権現」と呼ばれ憩いの地として親しまれています。 王子権現は、いつから神社として崇敬されていたのかは不明ですが、近くにある円楽寺が「修験の地」として信仰され、近世までここで「藤切り」の祭礼が行われていたことから、中世には存在していたことが想像されます。 また、五社神社は「上の宮」、王子権現は「下の宮」と言われ、ともに古くから「医薬治病の神」として篤く信仰されています。 この木は、樹齢150年以上というシダレザクラの巨木です。毎春見事な花を咲かせ、ひときわ周囲の緑を引き立たせています。 古来よりサクうは「神宿る木」として日本全域に植えられています。この地域でこれほどの巨木は例になく、木変貴重です。 地区のシンボルでもあるこの名木、氏子達の総意と協力により、平成15年天然記念物に指定されました。 社頭掲示板 |
五社神社 創立年月不詳。文明年中聖護院道興親王の社参あり。役の小角、富士山に登るに先づこの所にて行を修めたといふ。爾来修験者の信仰篤し。後神領二九石余を有するに至った。 山梨県神社庁 |