笠屋神社
かさやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】笠屋神社 甲斐国 巨麻郡鎮座

   【現社名】笠屋神社
   【住所】山梨県甲府市徳行5−1−1
       北緯35度39分14秒,東経138度32分25秒
   【祭神】大己貴命 事代主命
   【例祭】10月17日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       昭和20年7月7日戦災による社殿の焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

『式内社調査報告』に現在右の旧趾に隣接して、「甲府市徳行町2004番地」に「笠屋神社」が鎭座してゐる。これを當然論社として掲げねばならぬところであるが、その社より昭和27年提出の神社明細帳に「當社は笠縣明神と傳へられるが幾度かの河川氾濫で旧趾存せず」とし、また、昭和20年の空襲で灰燼に帰し、のち整備せしものと記され、その社自体で否定されるところであり、その証薄弱とみて、この論社からは外して考へた。」とあるが、「右の旧趾に隣接」が不詳。当社の隣地が笠屋神社の跡地であるのか?
街中の平地に鎮座する。境内はゲートボール場と児童公園になっている。


笠屋神社

笠屋神社(旧指定村社)
鎮座地 甲府市徳行5丁目1の1
祭神 大己貴命
   医薬・国造り・醸造
   事代主命
   商売繁盛
例祭日 10月17日
由緒・沿革
勧請鎮座は、雄略天皇4年庚子11月〈甲斐国社記寺記〉
笠屋神社〈延喜御式風土記〉笠懸明神〈甲斐国志〉の名前あり。
黒印神領高 一石八斗・反別四反余り社地408坪を有す。〈現在860坪〉
・明治維新で上知、8年1月村社になる。
・度々の河川の氾濫による旧跡の喪失
・昭和20年7月7日戦災による社殿の焼失
・昭和26年、氏子により社殿・境内を整備 神社建之〈建立〉
・平成9年氏子の寄付により神社を新築

社頭掲示板



笠屋神社

甲斐国社記寺記に勧請鎮座、雄略天皇4年庚子11月とあり、又延喜御式風土記所載笠屋神社と記されてゐる。甲斐国志に云ふ笠懸明神である。黒印神領高一石八斗反別四反余、社地四百八坪を有してゐたが、明治維新で上知し同8年1月村社に列せられてゐる。度々の河川の氾濫による旧跡の喪失、戦災による社殿の焼失と幾多の苦難を越え、社殿境内を整備し今日に至る。

山梨県神社庁



笠屋神社

笠屋は加佐夜と訓べし○祭神在所等詳ならず○惚國風土記六十三残欠云、巨麻郡笠屋神社、圭田四十五束三毛田、雄略天皇4年庚子11月、所祭事代主命也、有神家巫戸等、
甲斐名勝志云、山梨郡等刀村諏訪明神、祭神事代主命也、相傳、延喜式所載笠屋神社也、当社は昔巨摩郡に有しが、何れの頃か此地に奉遷、今神体に事代主命の像あり、信濃國下諏訪社は事代主命を祭ると云、』又云、巨麻郡徳行村笠掛明神、祭神事代主命也、相榑延喜式所戴笠屋神社也ど云、両社何れか是なる事考へ分ちがたし、〇参考云、中下條村に在す、所祭事代主命也、諸説未熟れかしらず、

神社覈録



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