街中、敷島小学校南西に鎮座する。 |
笠屋神社 斎庭 古来より神々は祭の度に聖なる地に天降り祭を受けられた後再び高天原にお帰りになるものでした。 そして後世常の御殿として社が造られてからもその地は斎庭として尊ばれ大切に護られてきました。 この地は当社の斎庭に当たり、今尚神々が降り給う聖なる地で我々がその御力を戴く庭であります。 この斎庭を末永く尊びお護りしていきましょう。 笠屋神社 社頭掲示板 |
笠屋神社 創建年時は不詳なれど旧くより諸人の崇敬篤く、わけても武運長久の神徳に依り武田家の崇敬を受け、白銀御樽酒奉納の事あり。徳川の世になりても、慶長八年、神領一石四斗四升の御朱印状下される如く社運栄え、元禄年間社殿建築以来、数度の改装改築の記録あり。現在も地域の産土神として広く崇敬を受けてゐる。 山梨県神社庁 |
笠屋神社 笠屋は加佐夜と訓べし○祭神在所等詳ならず○惚國風土記六十三残欠云、巨麻郡笠屋神社、圭田四十五束三毛田、雄略天皇4年庚子11月、所祭事代主命也、有神家巫戸等、 甲斐名勝志云、山梨郡等刀村諏訪明神、祭神事代主命也、相傳、延喜式所載笠屋神社也、当社は昔巨摩郡に有しが、何れの頃か此地に奉遷、今神体に事代主命の像あり、信濃國下諏訪社は事代主命を祭ると云、』又云、巨麻郡徳行村笠掛明神、祭神事代主命也、相榑延喜式所戴笠屋神社也ど云、両社何れか是なる事考へ分ちがたし、〇参考云、中下條村に在す、所祭事代主命也、諸説未熟れかしらず、 神社覈録 |