勝沼中学校の西に鎮座する。 『甲斐名勝志』には、「山梨郡等々力村諏訪明神祭神事代主命也。相傳、延喜式所載笠屋神社也。」 巨摩郡にあった笠屋神社を、どういう理由によるものか、山梨郡の当地へ遷座したものだというが定かではない。 平地の神社で境内に小祠が多い。 鳥井脇に大ケヤキがある。 |
諏訪神社本殿棟札 勝沼町指定文化財 平成6年3月31日指定 諏訪神社は等々力の産土神で、建御名方神と事代主命を祭神とする。境内にはこの他、天神、稲荷、石尊、痘瘡、白山、太神、蚕影、秋葉、道祖神などの諸社がまつられている。 当社由来は『甲斐名勝志』『甲斐国志』『社記・寺記』等によれば、巨摩郡の笠屋神社をうつしたとも、聖徳太子の命を受け、万福寺を創建した調子麿をまつるため建立されたともいう。 本殿内部に保存されている棟札及び板書等は左記のものがある。 1、 天保2年(1682)諏訪大明神社殿建立板書 2、 享保3年(1718)神殿修復遷座札及び梁書 3、 寛政6年(1794)笠屋神社棟祭礼 4、 文化13年(1816)諏訪大明神神殿修繕屋根替札二点 5、 明治14年(1881)本殿瓦葺改修札 6、 昭和33年(1958)笠屋神社諏訪大神鎮座札 これらの棟札類は、草創由来の変遷を示すと共に、三百年余におよぶ本殿修復の社会的、建築的経緯を知る上で貴重な記録である。 勝沼町教育委員会 社頭掲示板 |
諏訪神社のケヤキ 目通り4.8m、樹高30m、樹齢300年と推定される本町最大のケヤキである。 勝沼町指定天然記念物 昭和52年3月31日指定 社頭掲示板 |
諏訪神社 天和2年に建立せられし趣あり。その後135年を経て文化13年、将軍家斉公の時代に社殿の大修理並に桧皮葺屋根葺替等を施した。昭和27年従来の拝殿に唐破風向拝を増築し参道の石畳など大修築を行った。 山梨県神社庁 |
笠屋神社 笠屋は加佐夜と訓べし○祭神在所等詳ならず○惚國風土記六十三残欠云、巨麻郡笠屋神社、圭田四十五束三毛田、雄略天皇4年庚子11月、所祭事代主命也、有神家巫戸等、 甲斐名勝志云、山梨郡等刀村諏訪明神、祭神事代主命也、相傳、延喜式所載笠屋神社也、当社は昔巨摩郡に有しが、何れの頃か此地に奉遷、今神体に事代主命の像あり、信濃國下諏訪社は事代主命を祭ると云、』又云、巨麻郡徳行村笠掛明神、祭神事代主命也、相榑延喜式所戴笠屋神社也ど云、両社何れか是なる事考へ分ちがたし、〇参考云、中下條村に在す、所祭事代主命也、諸説未熟れかしらず、 神社覈録 |