宮久保の倭文神社の山宮であった七夕社と上村組にあった神明社、窪村組の貴船神社それに武田時代烽火台といはれてゐる城山の天神社が貴船神社地に合併して本宮倭文神社と社名を改め昭和34年神社本庁より許可された。 倭文は「しずおり」で、麻などの繊維を赤・青などに染めて横糸として織った古代織物である。また、穂坂御牧が栄えたころ、御牧の役人の妻や娘などが中心となって織った精巧な織物でこれらの女性たちが技芸の上達を祈るために天羽槌雄命・天棚機姫命を祀ったのが、この神社の起りである。 |
倭文神社 宮久保の倭文神社の山宮であった七夕社と上村組にあった神明社、窪村組の貴船神社それに武田時代烽火台といはれている城山の天神社が貴船神社地に合併して本宮倭文神社と社名を改め昭和34年神社本庁より許可された。 山梨県神社庁 |
倭文神社 倭文は志図利と訓べし○祭神建葉槌神、(名勝志)在所分明ならず、(名勝志云、柳平村に在す、今織女社と称す、』参考云、北山筋宮久保村に在す、降宮神と称す)、 両説未孰れかしらず、 神社覈録 |