甲府第一高校西に鎮座する。 当社を式内社に比定するのは地理的條件より無理とみられる。 |
由緒 初め甲斐の国主武田家の居館のあった石和郷に鎮座。今から四百数十年前永正16年(1519)武田信虎公つゝじヶ崎に居城を構えた時三の郭内に神殿建立ありて遷され武田家の尊崇する神社にして其の後徳川氏の代になり文録3年(1594)甲府城を築いた際現在の地に御遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められる。 当社は甲府における大社の一つで氏子の家内安全。、家業繁栄、安産の守り神、学問の守り神として崇敬され今日に至っている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
御崎神社 初め甲斐の国主武田家の居館のあった石和郷に鎮座 今から四百数十年前永正16年(1519年)武田信虎公つつじが崎に居城を構えた時三の郭内に神殿建立ありて遷され 武田家の尊崇する神社にして 其の後徳川氏の代になり文禄3年(1594年)甲府城を築いた際現在の地に御遷座 甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められる 當社は甲府における大社の一つで氏子の家内安全家業繁栄安産の守り神学問の守り神として崇敬され今日に至っている 社頭掲示板 |
御崎神社 初め甲斐源氏武田氏が石和へ居を構へた時に、その守護神として居館内に祀られ、次いで永正16年6月武田信虎公石和からつつじが崎に居を移し築城するに及んで三の郭内に神殿を建立されて御遷座、武田家代々の尊崇する神社となった。天正3年4月城外の西南、塔岩地内に再建された社殿も整ひしも天正10年3月牛生の乱にて社殿は大破、其の後徳川氏の代になり家康公国内巡視の際当社に参拝の折、御崎大相撲を上覧、それより御崎大相撲は甲斐国三相撲の一つとして有名になり今日に及んでゐる。降って文禄3年(1594)甲府城築城の際現在地に神領を賜り御遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められた。当社は甲府における大社の一つで、氏子並に崇敬者の厚い信仰のもと今日に至ってゐる。 幸ひ、社殿、随神門等も戦火をのがれ、現在の拝殿は昭和5年の改築である。 山梨県神社庁 |