集落の南、山の北麓に鎮座する。 反正天皇の皇女円比女が、諏訪明神を勧請したのが創始とされている。 |
由緒 第18代反正天皇2年第2皇女円比女、封を此の地に受け、洲羽国諏訪明神を勧請して守護神と崇め奉る。後養老2戊午国守社殿を造営し、相殿に事代主命、日本武尊を合祀す。(円皇女居給いしにより円居と云う)社号は圭田三十八束三毛田所祭敏達朝行式例宇波刀(裏門)神社と伝う。 貞観8年3月28日甲辰宇波刀神社従5位上式内社にして代々の国主並びに武将の崇敬浅からず甲印状御朱印状を以て社領御寄進あり、御朱印4石8斗余、明治4年社領上知同6年村社に列す、同40年神饌幣帛供進神社に指定せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宇波刀神社 鎮座地 韮崎市円野町下円井宇波刀2101 祭 神 建御名方命 合祀事代主命 日本武尊 例祭日 10月17日 祈年祭 2月17日 特殊信仰 往古より武運長久並に農蚕豊穣、安産、子孫繁栄の神徳厚く又恩賜林入会山地元守護神社故旧穴山四組、小田川、境之沢、若神子新町の住民の崇敬厚く牛馬の安全守護とし刈敷はなやかな時代は盛況であった。 由緒並沿革 当神社は式内社にして宇波刀神社諏訪大明神と称し貞観8年3月28八日従五位上を授けられた第十八代反正天皇の皇女円比女が封をこの地を受け諏訪明神を勧請して守護神として崇め奉た社殿の創設は養老2年(718)でその後十数回立替えられ大永以降の棟札は保存されている現在の本殿は宝永6年(1709)の建立である徳川時代には社領(四石八斗)御朱印状を以て寄進されていた。 宝物も数多く保存されている中で、県文化財指定の懸佛は扇面に銅版の普賢菩薩を安置し諏訪明神の御正体になぞらえて室町時代(永正3年、1506) 是奥が奉納されその頃の庶民の神佛に対す考え方のあらわれで県下では例のない貴重な資料である。 宇波刀神社 昭和56年10月吉日 社頭掲示板 |
宇波刀神社 当神社は式内社と言はれ宇波刀神社諏訪大明神と称し貞観8年3月28日従五位上を授けられたが、第18代反正天皇の皇女円比女が封をこの地に受け諏訪大明神を勧請して守護神と崇め奉った。創建は養老2年、その後十数回建替へられ大永以降の棟札有り。現在の本殿は宝永6年の建立である。御朱印社頭四石八斗。 山梨県神社庁 |
宇波刀神社 鎮座地 山梨県韮崎市円野町下円井字宇波刀2101 祭神 建御名方命 合祀 事代主命 日本武尊 例祭日 10月17日 祈年祭 2月17日 創建 養老2年(718年) 信仰 往古より武運長久、並びに農蚕豊穣、安産、子孫繁栄の神徳が厚く、また、恩賜林入会山、地元守護神社として故旧穴山四組、小田川、境之沢、若神子新町の住民の崇敬も厚く、牛馬の安全守護として刈敷華やかな時代は大変盛況であった。 由緒並沿革 当神社は式内社にして宇波刀神社諏訪大明神と称し、貞観8年(866年)3月28日従五位上を授けられた。伝説によると第18代反正天皇の第二女円比女か封をこの地に受け諏訪明神を勧請し守護神として崇め奉った。紋は「丸に諏訪梶」である。 社殿の創建後十数回建て替えられ、大永以降はその棟札が傑存されている。現代の社殿は宝永6年(1709年)の建立である。徳川時代には社領(四石八斗)ご朱印状を以て寄進されていた。 宝物も数多く保存されている中で、県文化財指定(昭和54年12月28日付)の「扇面御正躰付鉄造如来形坐像」別名「懸佛」は扇画に銅板の普賢菩薩を安置し諏訪明神の御正体になぞらえて室町時代、永正3年(1506年)に奉納され、その頃の庶民の神佛に対する考え方の表れで県下ては例のない貴重な資料である。 また、古くは県下各地から祈願する者多く、棟札や胴体内の墨書き等によると、天文12年(1513年)5月5日、藤井境の住人小沢宮内右衛門尉久吉の閨至が子孫繁栄の祈願か叶つて奉納した随神門、寄木作りの随神像二体は通称左右大臣で作者は大窪伊代之法眼であり、目下のところ県下の三大雄作と推奨されている。 宇波刀神社 平成24年11月吉日 社頭掲示板 |