宇波刀神社
うわとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】宇波刀神社 甲斐国 巨麻郡鎮座

   【現社名】宇波刀神社
   【住所】山梨県北杜市明野町上手北組 937
       北緯35度45分58秒,東経138度26分1秒
   【祭神】建御名方命 伊弉諾命 伊弉冉命 素盞嗚命 倉稻魂命
   【例祭】11月23日 秋季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】大同年中(806-10)創建
       貞観8年(866)3月28日従五位上『三代実録』
       寛治7年(1093)新羅三郎義光神領寄進
       明治6年郷社
       同40年神饌幣帛供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造柿葺
       拝殿・神楽殿

   【境内社】

この近辺には宇波刀神社が多い、その中心の神社という。
寛治7年(1093)新羅三郎義光が當国へ赴任の際、当社へ素盞鳴命・倉稻魂命の二柱を勧請合祀し、また神領を寄進したという。
「式内社調査報告」には読み方を「うゆと」としているが、これはデータ入力の際の誤りで「うわと」が正しいと思われる。


由緒

創立年代不詳なるも貞観6年の銘がある石華表があり、又貞観8年3月28日従五位上に叙せられた旨三代実録に記載があり、又延喜式神名帳にも県内他の19社と共に登録された式内社であることから、貞観以前の創建であると推定できる。新羅三郎義光寛治7年当国へ任官の際素盞嗚命・倉稲魂命の二神を勧請合祀し社領地を寄進せられたと云う、明治6年郷社に列せられ、同40年神饌幣帛供進神社に指定せらる。昭和55年4月拝殿の改築と神楽殿を新築する。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




宇波刀神社

掛纏毛畏岐此宇波刀神社波母與、清和天皇貞観八年三月二十八日從五位上乎授奉良連、又延喜式尓毛毛載良連底、最古支神社耳那牟有計留、斯而齋伎祭留大神波建御名方斗美命尓座之氏、此大神波之母、建久雄々之支御心以底、御父大國主命尓仕奉里、國土乎造里固米給之御事業袁、専良助奉利弖、許々良乃功徳有流神邇那牟座之計留、阿奈畏伎此大御神、阿奈多布止支此乃宇波刀廼神社、明治十一年夏、淺間神社宮司兼大講義源朝臣八代駒雄謹記

社頭石碑



宇波刀神社

山梨県指定有形文化財
学波刀神社の石鳥居
昭和46年4月8日指定
神社に向って右側の柱の裏面に刻まれている文字から、この鳥居は、乎安時代の貞観6年(864年)に建造されたもので、最も古い石鳥居の一つである。
高さは地上2.52m、柱の基部の直径44.2cmあり、柱の太さの割合に高さが低く、傾斜、並びに竺木のそりは、安定感とリズム感の美しさを表わしている。
形式は明神鳥居で、大きい饅頭型の台石の上にたっており、その姿は、柔みのある古雅な美しさをみせている。
明野村教育委員会

社頭掲示板



宇波刀神社

創立年代不詳なるも、貞観6年の銘がある石華表があり、又貞観8年3月28日従五位上に叙せられた旨三代実録に記載があり、又延喜式神名帳にも県内他の十九社と共に登録された式内社であることから、貞観以前の創建であると推定出来る。新羅三郎義光寛治7年当国へ任官の際素盞鳴命・倉稲魂命の二神を勧請合祀し、社領地を寄進せられたと云ふ。明治6年郷社に列せられ、同40年神饌幣帛供進神社に指定せらる。昭和55年4月拝殿の改築と神楽殿を新築する。

山梨県神社庁



宇波刀神社石鳥居

山梨県指有形文化財(建造物)
宇波刀神社石鳥居
この石島居は12世紀後半(平安時代末〜鎌倉時代初頭)に創建されたといわれています(14世紀代という異説もあります)。種類としては明神鳥居に分類され、高さ2.2m、幅1.9mとやや小ぶりで、太い柱と、どっしりと安定惑のあるのが特徴で、県内最古級のものです。台風や地震で何度か倒壊し、現在、烏居の一部は新しく作り直されていますが、古い烏居の部材は神社に大切に保管されています。
鳥居の柱には、貞観6(864)年という年号が、また、神社に残された古い部材には、同じく平安時代の年号「大同」が刻まれていたといわれていますが、これらの年号は後に追刻されたものです。
宇波刀神社は延長5(927)年にまとめられた『延喜弍』にも記載された由緒ある神社です。また、この神社が古道である穂坂路に面していることも、この地域の歴史を知るうえで注目されます。
北杜市教育委員会

社頭掲示板



宇波刀神社

字波刀は假字也〇祭神建御名方命、(名勝志)〇上手村に在す、今諏訪明神と称す、(同上)例祭月日、
惣國風土記六十三残欠云、巨麻郡裏門神社、圭田三十八束三毛田、四畝田、所祭(虫食不見)敏達朝行式例(連胤云、裏門は表門の誤なるべし、)○当國八代郡表門神社あり
神位
三代実録、貞観8年3月28日甲辰、甲斐國從五位下宇波刀神授從五位上、
社領
当代御朱印高一石八斗余

神社覈録



郷社 宇波刀神社

祭神 建御名方斗美命
相殿 伊弉諾神 伊弊冉神
   素戔鳴命 倉稻魂命
創立は平城天皇大同年中に在り(社記)と云へり、延喜式神名帳に巨摩郡宇波戸神社とあるは即ち是なり、「清和天皇貞観8年9月甲辰従五位下宇波戸神授從五位上と三代実録に見ゆ、祠邊に神ロ、神輿、大垣、宮澤、宮川、御手洗等の地名あり、祠中に古華表の顧を納む、表に宇波戸神社、裏に大同2年と刻みたる文宇模糊として見ゆ、今の華表には貞観2年と彫れり、古来大社なりしこと知るべし、又村名を上手といひ、祠の近傍を羽場と云ふ、宇波戸と上手と訓相近し、或る説に宇波刀は上処の義にて、上処の地名ある処は必ず近傍に卑下の地あり、之れに対して呼びしものなり、今上手村は藤井平とて、八千石許の田圃平坦の地にて、岡の上に神社在し、上手は即宇波刀なるべしとあるは是亦証とすべきことなるべし、古時神祭に法樂舞せし処を踊畑と称し、宕川の落ち口に瀧あり、里歌に
すゝしめや神代もながく宮川の流れも清きうばのしらたき
相殿の神々は新羅三郎任国の時、勧請せる所なりと社記に見ゆ、
社殿は、本殿、拝殿、渡殿等あり、境内275坪(官有地第一種)松杉枝を交へて澄酒森欝たり。

明治神社誌料



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