当地に鏡作部が置かれた時、その遠祖を祀ったものと考えられている古社。 『甲斐国社記・寺記』には「延喜式内 神部神社」とある。 |
由緒 旧大井荘七ケ村惣鎮守、寺部・加賀美の産土神なり。 草創は古代鎮座鎌倉時代大井荘地頭の加賀美信濃守遠光京都石清水八幡宮を分祀勧請。加賀美・秋山・南部・小笠原等氏神と称した。かって王字の社までの神幸八月十五日の流鏑馬は地方の名物であった。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神部社 旧大井荘内地頭の加賀美信濃守遠光京都石清水八幡宮を分詞勧請。加賀美、秋山、南部、小笠原等氏神を称した。かつて加賀美の王字の社までの神幸8月15日の流鏑馬は地方の名物であった。 山梨県神社庁 |
神部社 当社は延喜式内社に擬せらる旧大社加賀美荘七村惣鎮守寺部加賀美両区の産神なり歴代甲斐国守崇敬神領など寄進地方人祭祀を怠らず承け今日にいたる。 社頭石碑 |
社記 一、鎮座地 中巨摩郡看草町寺部2172番地 一、社名 延喜式内神部神社 一、所祭 天糠戸命 石凝姥命 八幡大神 一、神絞 松皮菱 一、旧社額 九千坪 一、祭日 元旦祭 1月1日 春季 4月祀祝日 秋季 10月祀祝日 七五三 11月15日 由緒 当社は旧大井荘内七ヶ村惣鎮守寺部加賀美地区のうぶすな神なり草創は古代鎮庭鎌倉時代大井荘地頭の加賀美信濃守遠光 京都石清水八幡宮を分祀勧請加賀美秋山南部小笠原等氏神を称し以来国主武田家の歴代崇敬うけ徳川家また朱印地をおくらる、 西部第一の社領にして荒塁存し古態なり。 かって加賀美の王子の社までの神幸8月15日のやぶさめ(流鏑馬)は 地方の名物なりき。 昭和58年4月1日 神部神社奉賛会 社頭掲示板 |