南宮大神社
なんぐうだいじんしゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】神部神社 甲斐国 巨麻郡鎮座

   【現社名】南宮大神社
   【住所】山梨県韮崎市大草町上条東割790
       北緯35度41分8秒、東経138度27分3秒
   【祭神】大己貴命 事代主命 建御名方命 金山彦命
   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立の経緯不詳
       新羅三郎義光が甲斐任国の時崇敬して社壇を造営
       徳川家が社領16石8斗社地4600坪を寄進

   【関係氏族】武田一条氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・神楽殿・隋神門

   【境内社】

街中、保育園の隣りに鎮座している
新羅三郎義光が甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したといい、武田太郎信義その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬


由緒

諏訪明神(建御名方命)を主祭神として大己貴命、事代主命、金山彦命を配祀する甘利郷きっての大社である。新羅三郎義光が甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したといい、武田太郎信義その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し武田一条氏が武川地方に封ぜられると当社を産土神として崇敬しその支族の武川衆諸氏も協力して奉仕し、武田信玄は当社の禰宜(神主)に対し府中八幡宮に2日2晩参籠し武田家武運長久と領内安穏の祈祷をすることを命じた。徳川家が社領16石8斗社地4600坪を寄進したのは武田家の例に倣ったものである。現存する社殿建造物は本殿、拝殿、神楽殿、随神門、石鳥居などで、境内地も縮小され1665坪に過ぎない。 

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




南宮大神社

南宮大神社は、諏訪明神すなわち建御名方命を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社である。
社記によれば、新羅三郎義光が甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したといい、武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬し、その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した史料を伝えている。
また武田信玄は当社の禰宜(神主)に対し、府中八幡宮に二日二晩参篭し、武田家武運長久と領内安穏の祈祷をすることを命じた。
徳川家が社領16石8斗、社地4600坪を寄進したのは、武田家の例に倣ったものである。
現存する社殿・建造物は、本殿・拝殿・神楽殿・随神門・石鳥居などで、境内地も縮小されて1665坪に過ぎない。戦前までは、境内に新羅三郎手植と伝えられる桜の巨木があり、植物学上、全国に比類のない珍種とされていたが、惜しくも枯死した。
昭和59年10月  韮崎市

社頭掲示板



南宮大神社

南宮大神社は甘利郷きっての大社で、社記によれば新羅三郎義光が甲斐任国の時、崇敬して社壇を造営したといひ、武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬し、その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した記録も伝へてゐる。

山梨県神社庁



日本列島の中心地

此の地は日本列島の最北端(稚内市)と最南端鹿児島県(佐多岬)の二点を円で囲んだ中央が日本の最東端(南鳥島)と最西端(與邦国島)との中心の経度と交差する日本列島のゆ心地である。地元ではこの地を日本列島のヘソと呼んでいる。
大草公民館

社頭掲示板



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