神部神社
かんべじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】神部神社 甲斐国 巨麻郡鎮座

   【現社名】神部神社
   【住所】山梨県北杜市須玉町小尾3805
       北緯35度52分41秒、東経138度31分2秒
   【祭神】天手力男命 譽田別命 廣國押建金日命 諏訪大神
   【例祭】 11月23日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】大宝元年(701)3月15日創立
       慶長18年(1613)本殿建立
       享保10年(1726)拝殿の狛犬寄進
       明治維新後現社名に改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「蔵王大権現、神門社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・神楽殿

   【境内社】

山腹に鎮座している。集落を一望し眺めがよい。


由緒

祭神名 天手力雄命、誉田別命、広国押武日命、諏訪大神
鎮座地 北巨摩郡須玉町小尾3805
例祭日 5月1日 11月25日 鳥追筒粥式 1月15日
御由緒 当社は旧小尾の総鎮守として延喜式に記載されている。創立は文武天皇大宝元年辛丑3年3月15日、社名は蔵王大権現、神門社と名のったが維新後旧名に復した。日本武尊が東征の折り、東小尾で湯治し当社前を通り猛獣、毒蛇、叛賊を退治して東征に向かった。当社前の御門、神戸は崇神天皇の御代神地として神戸と称された、その後武田は小尾街道を開き当社を信仰し、神像、鏡を奉納した。 徳川家は社領3斗6升を寄進した。
慶長年間より正月15日の前夜参籠し、粟粥を煮て、葦茎を割り中に入れ、粟粥数の多少によってその年の豊凶を占った。
境内社 伊勢社外2社
社殿、建造物 本殿、拝殿、神楽殿、鳥居、石燈籠
宝 物 金色の神像鏡
境内地 626坪
氏子等 200戸

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




神部神社

県指定有形文化財 有建第52号
神部神社 本殿一棟
附棟札四枚 金銅蔵王権現懸鏡一面
昭和63年11月16日指定
構造・形式 正面一間 側面一問 流造り
      檜皮葺き・一間社流造り
規模    桁行1.85m 梁間1.47m
建立年代  慶長18年(1613年)(〔甲斐国志〕
大きな吹抜けの覆屋に、三棟の一間社流造りの社殿が並ぶのは壮観である。その内、正殿(本殿)は真中に位置し、他の二棟(諏訪・岩神の社)より高くつくられており、土台が三段に積まれている。
創建は、大宝元年(701年)といわれ、「延喜式」(約千年前)にも載っている古い神社である。
正殿(本殿)の建立は〔甲斐国志〕に慶長18年(1613年)建立の棟札のあることの記載が見えるが様式や細部の技法は室町様式にさかのぼる。
現在、縁は正面だけで側面には回っていないが、柱などの痕跡から当初は側面にも縁が回わり、さちにその奥の両側面に脇障子が付いていたことが判っている。
木鼻には葉をあしらった彫刻が両面つけられている。そのなかでも笹葉は、比志神社本殿や長野県の中世の社殿の木鼻に例がある。 桃山期以前の技法を随所に残す貴重な建物として県指定文化財となる。
平成元年
山梨県教育委員会
須玉町教育委員会

社頭掲示板



神部神社

当社は旧小尾御門神戸東小尾和田黒森の総鎮守として延喜式に記載されて居る。創立は文武天皇の大宝元年丑年3月15日で四柱を祀る社名を蔵王大権現神門社と変はったことがある。維新後旧名に復した。武田家は小尾街道を開き北辺の守神として当社を信仰し神像鏡を納め徳川家は社領三斗六升を寄進した神木の檜木は目通り三丈余あるも文化年中徳川の命で駿河浅間神社の御用材に又寛政年中江戸聖堂の用材として伐採した。其の切株あとに現在石祠建立し之を大宝社と称す。

山梨県神社庁



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