平安時代後期に甲斐源氏の一族である小笠原長清が宇佐八幡宮を勧請するとある。 垂神天皇の代に大和三輪神社を遷祀。この神社は山宮と伝。冬は山宮に祀り、夏は里宮に祀ると伝。 南アルプス市下宮地の神部神社を里宮とし当社を山宮として祀ったか。 |
由緒 鎮座年暦は不詳であるが小笠原信濃守長清宇佐八幡宮より勧請の記録あり。天文12卯年霜月13日、寛永15戊寅8月造営の棟札あり。 嘉永年間三輪神社(今の神部神社)の山宮であった。大神山伝嗣院よりこの八幡神社に遷座し三輪山宮社と称する。 拝殿・随神門は地頭戸田藤左衛門の建てる所なり慶長16亥年10月納むる所の三十六歌仙あり、御神殿造営棟札に宝永6年己丑6月とある神像四体共に一木像で藤原期の作である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
八幡神社 鎮座之儀は年暦相立分不申候共小笠原信濃守長清勧請之由緒録あり、天文13卯年霜月13日寛永15戌寅年8月造営之棟札あり、拝殿随神門は地頭戸田藤左衛門の建るところなり、又慶長16年亥10月其納むるところの三十六歌仙あり、現に三枚あるのみ。御神殿造営棟札国主松平甲斐守宝永6年己丑6月20日神主内藤右近藤原の貞次とある棟札あり。 山梨県神社庁 |
上官地八幡神社の由来 『甲斐国志』や『中巨摩郡志』に「社記に云う、小笠原長清宇佐八幡宮を勧請す」とあり、また『甲斐国、社記寺記』に「鎮座の儀は年暦は判らないが小笠原信濃守長清勧請す」とある。なお『吾妻鏡』に「頼朝の死後(1199)、長清は甲斐国領内に堂舎を営み…」とあるがその時、長清公は正四位下の官位を授けられ、五ヶ国の管領と信濃、阿波両国の守護職という公生涯の中で最も素晴らしく充実した時代であり、八幡神社をはじめとして町内にいくつかの尊い寄進がなされてきたと思われる。社殿の棟には小笠原氏の家紋である三階菱の紋が刻まれている。 八百年の歴史を秘めた八幡神社の由来を考え長清公への報恩の年を甦えらせたいものである。 平成4年3月 小笠原長清公顕彰会 社頭掲示板 |
八幡神社の由来 鎮座地 上宮地2492番地 祭神 誉田別命 大物主命 例祭日 八幡神社 10月15日 2月10日 三輪山宮社 4月12日 12月12日 境内地 890坪 氏子戸数 180戸 由緒沿革 鎮座年暦は不詳であるが小笠原信濃守長清宇佐八幡宮より勧請の記録あり、天文13卯年霜月13日寛永15戊寅年8月造営の棟札あり、嘉永年間三輪神社(今の神部神社)の山宮であった伝嗣院より、この八幡神社に遷座しで三輪山宮社と称する。拝殿随神門は地頭戸田藤左衛門の建つる所なり、 慶長16年亥10月納むる所の三十六歌仙あり、御神殿造営棟札宝永6年巳丑6月とある、神像4体、共に一木像で藤原期の作である。 昭和62年3月吉日 社頭掲示板 |