甲斐国志に、古昔大井俣神社と称すと記されている。 |
由緒 御祭神 建御名方命 鎮座地 山梨県北巨摩郡長坂町大井ケ森字森山1208 例祭日 10月2日 由 緒 甲斐国志に、古昔大井俣神社と称すと明記されており、創立年月は不詳であるが、慶長8年黒印状を以て神領寄附されていることなどから、天正以前の創建であると推定されている。天文9年武田信玄公村上合戦の折信濃進攻甲州拠点の一つである大井ヶ森の当社に戦勝を祈願し、戦に勝ち帰国の折奉斎し、社名を諏訪神社と改め、雁又の矢に田2反歩と、社掌板山与左衛門に諏訪大社五祝の一家を持ち来り「祝」の姓を与え、諏訪大社の神紋梶の葉を用いることを認許の御墨付きを相添え奉納せられた。武田滅亡後後難を避け明治に至り再び「祝」姓に改めている。御墨付き古文書類は清水彦左衛門祖先名主役勤務の故を以て預かり置いたが、元禄年間火災に遭遇し、他の書類等と共に焼失したと云う。 慶長8年黒印状「合高1石5斗1升2合大井ヶ森村の内右御寄進侯国家御祈念、社中御造営干要侯重而御朱印申調可進侯 桜井安芸守信忠外3名連署慶長8年卯3月朔日」 宝 物 幣帛 力石 雁股の根(武田家寄進) 額面 西洞院左兵衛督信堅郷染筆 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
諏訪神社 甲斐国誌に当社を大井俣神社と明記されてゐる。創立不詳なるも慶長8年幕府黒印状にて神領寄進とあるので天正以前の創建であること明白。状文如左合高壱石五斗壱升弐合、大井ヶ森村之内右御寄進候国家御祈念社中御造営肝要候重而御御朱印申調可進候以上。慶長8年卯月朔日桜井安芸守信忠外三名連署。天文9年武田信玄村上合戦の折戦勝祈願あり。雁又の矢に黒付相添へ、神田二反歩を奉納せられしと。社前に大石ありて、御座石又は腰掛石と云ふ。 山梨県神社庁 |