甲斐奈神社
かいなじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】甲斐奈神社 甲斐国 山梨郡鎮座

   【現社名】甲斐奈神社
   【住所】山梨県笛吹市一宮町橋立84
       北緯35度38分50秒,東経138度40分45秒
   【祭神】国常立命 高皇産靈命 伊弉那岐命 伊弉那美命
   【例祭】3月社日 例祭
   【社格】旧村社 甲斐国総社
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神祖明神」「林部宮」「橋立明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・神門・神楽殿・社務所

   【境内社】

一宮西小学校西に鎮座する。
この地は甲斐国の中心地である国府に近い。
甲斐奈神社には神社全体を巨大な土塁で囲んだ筑前原塁跡(ちくぜんばらのるい)が残されている。(古代から中世の土塁。)
往時の豪壮な社殿は天正10年(1582年)、相模国の北条氏直と徳川家康が甲斐へ侵攻した際の兵火で焼失。


甲斐奈神社

鎮座地・一宮町橋立字北畑84番地
 この神社は神祖明神又は林部宮、橋立明神とも呼ばれ延喜式内社で創建は古く大社であった。祭神は国常立尊、高皇霊尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊を祀りその外甲斐国中式内式外大小の神祇を勧請し一国の総社であった。そのため、恒例神事、大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、当社から国中の諸社に対して幣帛がわかたれた。本殿後ろには天然記念物の御神木の大杉があり「橋立の大杉」として地方に知られていたが枯死したのでその跡に記念碑が建ててある。江戸前期までは祭礼の日に笛吹川東の神主が全て当社に参集して神楽を奏し、五穀豊穣の祈祷をした。明治40年に村社に指定された。
 旧時の社領は四石三斗、境内は1500坪、社地は434坪で東原、竹原田、金田、橋立の産土神となっている。
平成5年3月
一宮町教育委員会

社頭掲示板



甲斐奈神社

甲斐國志所出の社記によれば当社は延喜式内社であり、甲斐國中式内式外大小の神祇を勧請する一国の總社であった。そのため恒例神事、大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、先づ当社にて祭祀が執り行はれ、それから国内の諸社に対して幣帛がわかたれた。天正10年の兵火に焼かれたが、その後再建され江戸時代から戦前まで隆盛を誇ったが戦後、一時人心が離れて著しく荒廃するも近年氏子、崇敬者の熱意で本殿、拝殿、一の鳥居、両部鳥居、神門、神楽殿等次々に再建、改修整備され、旧に復しつつあり、甲斐國の御親神として広く崇敬を受け県内外から多くの参拝者が訪れ社頭は賑ひを得てゐる。また別称が幾つかあり、神祖大明神又は橋立明神や林部の宮とも呼ばれてゐる。
本殿後ろには天然記念物の御神木の大杉があり甲州三大杉の一つに数へられ「橋立の大杉」として地方に知られてゐたが昭和28年に枯死したので其の跡に記念碑が建ててある。江戸時代までは祭礼の日に笛吹川東の神主が全て当社に参集して神楽を奏し盛大な祭祀が斎行され五穀豊穣、国家鎮護の祈祷をした。明治40年村社に指定された。旧時の社領は四石三斗、社地は443坪であった。橋立、東原、竹原田、金田の産土神である。また宝物として文化財指定は受けてないが竹原田区の語源になったと云ふ相生の二枝の竹と元文年間作の極彩色の内陣用の狛犬二体、御本殿御扉左右に昇降龍の見事な彫刻が現存する。
祭事として歳旦祭(1月1日) 日供始祭(1月2日) 追難祭(2月節分) 春季例祭(春分日) 夏越大祓(6月最終日曜日) 秋季例祭(秋分日) 箸感謝祭(11月11日) 除夜祭・師走大祓(12月31日) 
崇敬者成就祭(7月第二日曜日) 朔旦祭(毎月1日) 月次祭(毎月15日)が執り行はれてゐる

山梨県神社庁



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