甲斐奈神社
かいなじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】甲斐奈神社 甲斐国 山梨郡鎮座

   【現社名】甲斐奈神社
   【住所】山梨県笛吹市春日居町国府 436
       北緯35度39分40秒,東経138度39分4秒
   【祭神】彦火火出見尊 大己貴命
   【例祭】4月3日 春季例大祭
   【社格】旧村社 甲斐国総社 甲斐国四宮
   【由緒】神亀3年(726)創建

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「守宮」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿

   【境内社】

神亀3年(726)創建と伝う。この地は甲斐国府の地であり、天平年間田辺史広足が国府所在地を記念して古名を子孫に残そうと峡之神社(かいのじんじゃ)と名ずけ、その後甲斐奈神社となった。
江戸時代には「守ノ宮(しゅのみや)」・「守宮大明神」という別名があった。これに関して「四の宮」または「国守の宮(= 総社)」の変化とする説がある。


甲斐奈神社の由来

鎮座地 春日居町大字国府字砂原町436番地
当社は延喜式神名帳に載る古社で、別名守宮(しゆのみや)大神ともいい、これは四之宮がなまったものと思われる。
御朱印領八石一斗。御祭神は彦火火出見尊、大巳貴命の二神で、聖武天皇神亀3年(726)6月に建立した。この地は昔、峡之郷といい、成務天皇が甲斐国山梨郡峡之郷に国府を置いたので峡(こく)を改め甲府とし後に、国府の字に変えた。
天平年間(747)に国司田辺史広足が国府所在地を記念して古名を子孫に残そうと峡之神社と名づけ、その後、甲斐奈神社となった。
昔は11月中の申の日の祭りに氏子の男女が手に手に松明をかかげ社殿を三度回り、「ジンギャウ チャウヂャウ カンノベ チャウジヤウ」と叫びながら、最後に村中を回った。以前は鳥居の左方に七抱えもある槻(欅)の巨木があつた。
現在の本殿は明治元年の大火後、同15年に再建された。
例大祭は四月三日に行なわれる。
春日居町
春日居町観光協会

社頭掲示板




旧社碑再建の由来

明治40年8月、本県をおそった未曾有の大洪水により、当社は本殿以外すべて流失し、明治34年建立のこの碑もまた行方不明となつてしまつた。
ところが今回、はからずも境内南側の下水道工事にさいし、もとの位置から余り遠くない地下およそ5mの所から台石ともに発見された。
社名の筆者は公卿七清華の一人、従一位勲一等侯爵久我(こが)建通で、明治維新のさいは公武合体派で活躍し、後に東京に在任して神職となりました明治天皇の宸翰御用係・文学御用係などの要職を歴任した人である。
建立後おそそ80年、再び陽光を仰ぐに至つた奇しき因縁を思い、ここに旧社碑を再建して後に伝えようとする次第である。
昭和62年4月3日
延喜式内 甲斐奈神社 氏子一同

社頭掲示板



甲斐奈神社

聖武天皇の神亀3年創立。延喜式内社で国司在庁所在地を卜し、神社を建設して国司田辺史広足祭主となり峡之神社と称し、後甲斐奈神社となる。平成16年10月12日地番変更。

山梨県神社庁



延喜式内 甲斐奈神社

社格 村社 旧社格 甲斐国総社
鎮座地 山梨県笛吹市春日居町国府361番地
祭神 彦火々出見尊(別称 天津日高日子 山幸彦 火火出見命 日子穂穂出見命)
神徳 農常・漁業など心願成就、商売繁盛、開運厄除け、勝運守護、縁結び、子宝・安産ほか
大己貴命(別称 大国主命 犬物主神 大穴牟遅神 八千矛神)
神徳 縁結び、子授、夫婦和合、五穀豊穣、病気平癒、産業開発、交通守護ほか
祭日 4月3日 旧例祭2月15日
社地 境内地617坪 御朱印神領 八石一斗
神主屋敷 二表一斗三升四合
社殿 本殿 梁間一間 桁行一間 拝殿 梁間三間 桁行六間
幣搬 梁間二間 桁行二間 向拝 梁問一間 桁行二間
烏居 一基
棟札 建保元年酉2月10日(1213)観応2年寅9月13日(1350)
(造修記録)文亀元年酉正月17日(1501)慶安2年丑10月21日(1649)天保13年寅3月8日(1842)明治15年4月(1882)大正3年4月(1914)昭和38年9月(1961)
由緒 鎮座地は国府(こう)で奈良時代に甲斐国の国府の置かれた場所
創建神亀3年(726)聖武天皇天平年中(747)国司田辺史広足が峡之神社と名付けその後甲斐奈神社となった。延喜式神名帳に載る古社(式内社)で、かつては守ノ営明神ともいい、これは四ノ宮(国守ノ営)が転説したともいわれる。
延徳年中(1489〜1491)武田刑部大輔信□が造修、慶安年中徳川家光より神領として八石一斗を給わる。
明治元年正月8日民家より火災が発生し、その折社殿も類焼したが、明治15年に再建された。また明治40年8月22日から24日の豪雨により近津用水が増水し、境内の一部と拝殿が流失した。拝殿はその後大正3年に再建され、平成26年には屋根の鋼板葺、向拝の造修が行われた。また水害前には島居近くにおよそ七抱え半の槻木があったことが記録されている、
平成26年4月吉日
甲斐奈神社氏子一同

社頭掲示板



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