大石神社
おおいしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】物部神社 甲斐国 山梨郡鎮座

   【現社名】大石神社
   【住所】山梨県山梨市西2067
       北緯35度43分19秒,東経138度41分44秒
   【祭神】大山祇命
   【例祭】5月5日 例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】大岩
   【祭祀】江戸時代は「大石明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

境内及び本殿背後に巨岩がある。
拝殿と巨岩の間に挟まれるようにして本殿がある。


山梨市八景・大石山の奇岩群

大石山には大山祇命をまつる大石神社がある。境内の大きな御影石(花崗岩)は御神体で、高さが12m、まわりが67mあって、本県随一と言われる。
 烏帽子石、屏風石、影向石、産屋石、浮舟石、百足石、指門石、甲石など、全山の奇岩群は目を見張るものばかりで、まさに自然美の極地といえよう。
 この地には古くから「岩手八景」として、岩松晴風、大石夜雨、信盛晩鐘、笛川漁火、中村夕照、唐沢落雁、妙月秋月、物見暮雪が選定され、この八景や奇岩群を訪れる文人墨客、観光客などが跡を絶たない。
 陽春のころ、大石山の松の緑と紅のつつじの織りなす色彩のコントラスト(対照)もまことに見事である。また、このころ大石神社の祭りが行われ神楽も奉納される。大石山はまた、市内外の園児、小学生、家族たちが遠足や散策におとずれている。

社頭掲示板



大石神社

山梨市西2067
創建年代は不詳ですが、社殿建築が発生する以前から「磐座」(下記参照)とよばれる古い石信仰の場として崇拝されたとみられています。『甲州噺』(享保17年〔1732〕)には岩手能登守(信盛)が建立したと記載されています。信盛は、甲斐守護武田信昌の子縄美の嫡男で、岩手氏は縄美が岩手郷を領有し岩手氏を名乗ったのがはじまりとされます。
信盛・信景・信重と武田氏に仕え、御親類衆・旗奉行という重職につき、東の武田殿ともいわれました。
社名の起こりとなった御影石(花崗岩)の神体石は、高さ12m、周囲68mで首鎧(かぶと)形をしており、上部には平坦面があるといわれています。
ほかにも名が付けられた石が多くあります(烏帽子石、屏風石、影向石、産屋石、胎内石、浮橋石、百足石、笠石、乳石、子守石など)。
磐座
神霊が石に宿るという信仰に基づいて、石を御神体として祀ったことに由来する。
祀られる石は、巨石や陰陽石など石の大きさや他とは違った特徴がみられるものがその対象となった。神社の社殿建築発生の前段階には、この石に神が降り下るとされて祭りが行われた。やがて神が鎮座するところという観念が固定し、石は神聖視され「磐座」と呼ばれるようになったのである。
「古事記」「日本書紀」また「風土記」にその名称が散見され、古代の信仰形態のひとつとなっている。

社頭掲示板



大石神社

社記に社号は古く物部神社と称してゐたが後代大石大神、岩手大明神等と称して現在大石神社と称してゐる。甲斐の守護武田刑部大輔信昌の子治部少輔縄美この地を領し氏を岩手と改めて永正4年(1507)4月9日社殿を造り弓矢を奉納した。境内の大きな御影石は神体石で高さ12m、廻り67m余りあり、本県随一のものといはれてゐる。その他烏帽子石、屏風石、影向石、産屋石、浮船石等の巨石がある。

山梨県神社庁



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