額之社は、往古より横山鎮座賀茂神社の摂社にして、同社祭神賀茂別雷神の祖母神草野姫及び伊弉諾神を奉斎し、金津庄高松の鎮守と尊崇来れり。 |
由緒 当額之社は、往古より横山鎮座賀茂神社の摂社にして、同社祭神賀茂別雷神の祖母神草野姫及び伊弉諾神を奉斎し、金津庄高松の鎮守と尊崇来れり。 当所は、加賀国より能登国に通じる街道にして街道の南、河北潟より七窪を経て当社に至る街道は、おまん狐の出でし所にして南入口に天皇神を奉斎し、街道の中程には地蔵堂を、北部なる古宮の地に野の神なる草野姫を奉斎し奉り旅人の安全を祈願す。 草野姫叉の御名を以て野蛟明神と奉称す。 英之神は、桜井三郎左衛門命にて、天正12年末森合戦に藩公前田利家に協力せし功により高松の宅地の税を免除さる。 依って嘉永2年英之社を建立、岸川様と尊崇奉るなり。 嘉永3年拝殿を建立し古宮より現在地に遷座。 大正5年境内に在りし英之社金刀羅社を社殿に合祀。 昭和18年村社に列せられる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
額神社 当額之社は、往古より横山鎮座賀茂神社の摂社にして、同社祭神賀茂別雷神の祖母神草野姫及び伊弉諾神を奉斎し、金津庄高松の鎮守と尊崇来れり。 当所は、加賀国より能登国に通じる街道にして街道の南、河北潟より七窪を経て当社に至る街道は、おまん狐の出でし所にして南入口に天皇神を奉斎し、街道の中程には地蔵堂を、北部なる古宮の地に野の神なる草野姫を奉斎し奉り旅人の安全を祈願す。草野姫叉の御名を以て野蛟明神と奉称す。英之神は、桜井三郎左衛門命にて、天正12年末森合戦に藩公前田利家に協力せし功により高松の宅地の税を免除さる。依って嘉永2年英之社を建立、岸川様と尊崇奉るなり。 嘉永3年拝殿を建立し古宮より現在地に遷座。大正5年境内に在りし英之社金刀羅社を社殿に合祀。昭和18年村社に列せられる。 石川県神社庁 |