野蛟神社
のかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】野蛟神社 加賀国 加賀郡鎮座

   【現社名】野蛟神社
   【住所】石川県金沢市神谷内町ヘ1 9
       北緯36度35分55秒、東経136度41分5秒
   【祭神】高皇産靈神 神皇産靈神 猿田彦神 事代主命 野椎神
   【例祭】4月3日 春季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平3年(731)4月3日創立
       明治5年村社
       明治41年3月神饌幣帛料供進神社指定階

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は北陸街道付近に鎮座していた
        江戸初期現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「毘沙門天」「毘舎門」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所

   【境内社】

聖武天皇の天平4年3月、痘瘡等の病が流行し、郷民ら多く命を失いつゝあつた折、ひとりの老翁があらわれ、自分を正しくまつらばこのわざはいはなくなるであろうと告げて雲隠れられた。そこで一社を建てて拝礼につとめたところ、病難はたちまち雲散霧消した。それが当社のはじまりである。
江戸初期、参勤交代がはじまるまでは、北陸街道付近に鎮座していたが、前田公とて当社地内を通過の折は下馬せねばならず、不便のため、現在の社地に移された。
境内に芭蕉の句碑がある。
うらやまし 浮世の北の 山ざくら
 宝暦12年(1762)、俳人蘭更(らんこう)の建立で、もとは北陸街道わきにあったものを明治初年頃ここに移した。
社名の読みは「全国神社祭祀祭礼総合調査」は「のかじんじゃ」としているが「のづちじんじゃ」としている資料が多い。


由緒

神社縁起略記
今を去る。約1250年前(天平3年4月3日)に創立と言われる古社の一社です。
当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流行し、毎日のように住民が病に倒れ、亡くなる人もでたそうです。
そうした時白髪の老人が現れ、『自分の言う通りに従えば、衆人一切を救ってしんぜよう。』と言うので、住民は老人の教える通りに行った処、不思議にも病気が治ってしまった。
この老人は『ヌヅチの神である、永く祭祀(イツキマツルこと)せよ。』と言い残し“龍(アマレリ)”に乗って天上雲間に消えた。
そこで住民は、その地に神社を創立して祀ったのが起りであると伝えられている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



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