聖武天皇の天平4年3月、痘瘡等の病が流行し、郷民ら多く命を失いつゝあつた折、ひとりの老翁があらわれ、自分を正しくまつらばこのわざはいはなくなるであろうと告げて雲隠れられた。そこで一社を建てて拝礼につとめたところ、病難はたちまち雲散霧消した。それが当社のはじまりである。 江戸初期、参勤交代がはじまるまでは、北陸街道付近に鎮座していたが、前田公とて当社地内を通過の折は下馬せねばならず、不便のため、現在の社地に移された。 境内に芭蕉の句碑がある。 うらやまし 浮世の北の 山ざくら 宝暦12年(1762)、俳人蘭更(らんこう)の建立で、もとは北陸街道わきにあったものを明治初年頃ここに移した。 社名の読みは「全国神社祭祀祭礼総合調査」は「のかじんじゃ」としているが「のづちじんじゃ」としている資料が多い。 |
由緒 神社縁起略記 今を去る。約1250年前(天平3年4月3日)に創立と言われる古社の一社です。 当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流行し、毎日のように住民が病に倒れ、亡くなる人もでたそうです。 そうした時白髪の老人が現れ、『自分の言う通りに従えば、衆人一切を救ってしんぜよう。』と言うので、住民は老人の教える通りに行った処、不思議にも病気が治ってしまった。 この老人は『ヌヅチの神である、永く祭祀(イツキマツルこと)せよ。』と言い残し“龍(アマレリ)”に乗って天上雲間に消えた。 そこで住民は、その地に神社を創立して祀ったのが起りであると伝えられている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |