「聖武天皇御宇天平4年5月、天下大に早して五穀不熟、里民集りて藤原の御神に雨を祈りしかば、天より甘雨降り耕業安ぐ、まさに磯渇の難を済い賜る御神徳霊験を尊び、一宇の社を建、崇奉る」と伝わっている。 春日の神は、後世、鎮座地の乙丸村をはじめとする小坂庄が大知の春日社領となつた関係から祀られたのであろう。 |
下野間神社 天平4年鎮座の延喜式内社にあてられる古社。同年5月天下旱にして五穀実らず里民集まりて藤原の神に祈りしところ甘雨降り飢渇を救い給うにより神徳を尊び一宇を建立したと伝う。古くは春日明神と称したことから、当時は春日四神が主神と推定される。明治6年浅野神社に附属。昭和20年5月神饌幣帛料供進神社に指定。 石川県神社庁 |