小坂庄の総社であり、この地方一帯が奈良の春日大社の社領であった関係で、当社でも春日神を祀っている。 文明年間(1469年-1487年)の一揆により社殿をことごとく焼失し、寛永13年(1636年)、郷民が現在の社地に社殿を再興したとも、加賀藩主前田利常が再興したとも伝わる。 |
由緒 小坂神社(春日さん) 当社は養老元年(西暦720年)の創建の延喜式内加賀十三座の中の一社であり、社頭は一揆に依り焼失したが、寛永13年加賀藩主前田家に依り再興され、北効一円の春日社の総社として地域の人に親しまれ、藩主前田家もことある毎に当社に祈願したとされている。 又、幣社富士社は玉姫病気祈願所とされ、以来病に霊験のあるお社として崇敬を集めている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
小坂神社 御祭神 経津主神・天児屋根命・比淘蜷_・武甕槌神・饒速日命 由緒 当社は小坂庄の総社として延喜式内加賀十三庄の中の一社でありこの地方一帯が奈良の春日社の社領であった関係で春日神を祀っている。それで昔から春日さんとして親しまれているのである。創始は養老元年西暦720年4月である。文明長享の一揆で社頭は災害に遭遇し寛永13年加賀藩主前田利常より現地に再興して以来金沢北郊鎮護の大社として藩主前田家はもとよリ衆庶の尊信をあつめ年とともに社運の隆昌を加えて来て近世の金沢をばじめとする加賀地方の神辻は神仏の混淆が著しくその多くは社僧山伏等によって奉仕されていた。しかるに本社は金沢の北郊に在つたが純然たる神主奉仕社として金沢五社の一つに列し重きをなしたのである。 又本社には境内社として冨士社・菅原社・稲荷社・鳴滝社がある、このうち富士社は衆庶の崇敬厚く脚の病に霊験ありと信ぜられて来た、また鳴滝社は清滝権現といわれ、享保13年の縁起には源義経が奥州下行の時こゝで武蔵坊弁慶が「鳴るは滝の水」の舞曲を奏したとしている。 社頭掲示板 |
小坂神社 当社は養老元年(720)の創建の延喜式内加賀十三座の中の一社であり、社頭は一揆に依り焼失したが、寛永13年加賀藩主前田家に依り再興され、北効一円の春日社の総社として地域の人に親しまれ、藩主前田家もことある毎に当社に祈願したとされている。又、幣社富士社は玉姫病気祈願所とされ、以来病に霊験のあるお社として崇敬を集めている。 石川県神社庁 |