社伝に奈良朝聖武天皇の御代神亀4年(727年)のご鎮座にて、住吉大明神と称し、延喜式神明帳所載の味知(みちの)神社であるとされている。 |
由緒 安江住吉神社由来書 由緒 安江住吉神社は奈良朝聖武天皇の御代神亀4年(727年)のご鎮座にて、住吉大明神と称し、延喜式神明帳所載の味知(みちの)神社である。 その後、安元年中(1175年頃)富樫氏の豪族安江次郎盛高が再興したといわれ、寛永年間頃(江戸時代初期)まで槻(つき)(ケヤキの一種)の大木が境内にあったので、「大木の宮」ともいわれた。 古来より航海交通の神、武道の神として広く崇敬され、特に沖合を航海する北前船の船頭が海上から望見し、当社の森を「牛が森」と名付けて、航路の目印として航路の安全を祈った。 なお、大阪の船主有志より感謝の気持ちと安全を祈り天明2年(1782年)及び文化2年(1805年)に奉納された石燈籠二対四基がある。 なお、当神社の森は昭和57年金沢市より保存樹林第四号に指定された。 また、社宝として味知神社刻名の神鏡二面、木彫りの狛犬一対並に宝暦3年(1752年)の記録による「加賀国石川郡安江郷住吉宮縁起一巻」がある。 明治5年10月村社に列せられ、明治39年12月神饌幣帛料供進神社に指定され現在に至る。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
安江住吉神社 安江住吉神社は奈良朝聖武天皇の御代神亀4年(727)のご鎮座にて、住吉大明神と称し、延喜式神明帳所載の味知(みちの)神社である。その後、安元年中(1175頃)富樫氏の豪族安江次郎盛高が再興したといわれ、寛永年間頃(江戸時代初期)まで槻(つき)(ケヤキの一種)の大木が境内にあったので、「大木の宮」ともいわれた。古来より航海交通の神、武道の神として広く崇敬され、特に沖合を航海する北前船の船頭が海上から望見し、当社の森を「牛が森」と名付けて、航路の目印として航路の安全を祈った。なお、大阪の船主有志より感謝の気持ちと安全を祈り天明2年(1782)及び文化2年(1805)に奉納された石燈籠二対四基がある。なお、当神社の森は昭和57年金沢市より保存樹林第4号に指定された。また、社宝として味知神社刻名の神鏡二面、木彫りの狛犬一対並に宝暦3年(1752)の記録による「加賀国石川郡安江郷住吉宮縁起一巻」がある。明治5年10月村社に列せられ、明治39年12月神饌幣帛料供進神社に指定され現在に至る。 石川県神社庁 |