額東神社と同じく神護景雲2年(768)の創立と伝え、額地方の守護神として著聞し、往昔は社地も廣大で三千歩もあつたという。 額とは不毛の地の事で 今は墾田して田地となっているが 額東・額西神社は、この開発された額地方の守護神として東・西に鎮祭されたと思われる。 |
額西神社 祭神 伊邪那美命 例祭3月17日 10月17日 由緒沿革 社記に「当社は神護景雲2年の創立にして延喜式内の神社也。往古は額7ヶ村の総社として藪田なる地に鎮座ありしより藪田明神と唱へ奉る。近衛天皇の仁平2年申如月奉唱宣命に預・・後光厳帝の延文5年2月25日天下安穏祈祷のため正五位上を授けらる」とあり、加賀国式内社等旧社記には「額西神社 式内一社 額乙丸村鎮座 称藪田明神也」とありて額西神社の正社なること疑いなしとすべし。 従って朝廷・武将の崇敬厚く就中富樫家尊崇の神社なりしことは宝永地誌に「乙丸村鎮座・社、藪田明神と称し、昔富樫氏加賀国を領せし頃崇敬し社殿を造営」したる旨記され、額郷の総社として尊崇されたる神社なり。 社頭石碑 |
額西神社 延喜式内社。神護景雲2年の創立と伝えられ往古、藪田明神と称された。このことは「加賀国式内等旧社記」にもみえ、朝廷、武将の崇敬も厚く、特に守護富樫家の尊崇の深かったことは「宝永地誌」にも記されている。昭和15年8月27日指定村社。 石川県神社庁 |