額東神社
ぬかひがしじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】額東神社 加賀国 石川郡鎮座

   【現社名】額東神社
   【住所】石川県金沢市額谷町 ロ-129
       北緯36度30分32秒、東経136度37分36秒
   【祭神】伊邪那岐命 国底立命
       『加賀国式内等旧社記』『特選神名牒』猿田彦神

   【例祭】10月18日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】神護景雲2年(768)創立
       中世富樫氏の崇敬を受ける
       一向一揆の兵火にかかって現地に移転
       明治33年7月郷社
       明治39年12月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古東北の額山に鎭座
        一向一揆の兵火にかかって現地に移転

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造柿葺
       拝殿・社務所

   【境内社】

往古東北の額山に鎭座したと伝えられている。
額とは不毛の地の事で 今は墾田して田地となっているが 額東・額西神社は、この開発された額地方の守護神として東・西に鎮祭されたと思われる。


額東神社

鎮座地 金沢市額谷町ロノ130番地
祭神 伊邪那岐命 国底立命
祭日 春祭 3月17日 秋祭 10月17・8日
新嘗祭 11月23日
由緒 創立年代は奈良時代の神護景雲2年(768)と伝え 初めは額山に鎮座したという 額地方の東部に位置するので 額東神社と称したのである 祈年祭に国幣にあずかった延喜式内の名社である 中世には加賀の守護富樫氏の崇敬が厚く 家臣の金子氏が奉仕にあたったと伝え一向一揆の兵火にかかって現地に移転したといわれている 古くから額七ヶ村の総社と仰がれ 近年には山伏の宝高寺が奉祀したという
明治初年に村社に列し 同33年には郷社に昇格 同41年には額谷の道勲神社(国底立命を祭る)を合併した ついで1150年祭には もと出雲大社宮司 司法大臣 男爵 千家尊福氏が「いざなひて仰ぐはうれし久方の天のみ柱めぐる月日を」という祝賀の歌を寄せた
祭神の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は天照大神の父神であり 国底立命(くにのそこたちのみこと)は国土の根源の神として知られる
文学博士 小倉 学 撰

社頭石碑



額東神社

神護景雲2年創立ニテ、往古ハ村ノ東ニ當ル字額山ニ鎭座有之、富樫氏信仰シテ社頭造営并社料等モ寄附、尤延喜式内神社ニテ額七ケ村ノ総社ニシテ神威四方ニ輝キ、諸民崇敬不少、然後、富樫氏兵乱ニテ社殿焼失ス、依テ神躰ヲ村中ニ假殿建設シ奉移、是則現今ノ社殿ナリト云。

神社明細帳



額東神社

延喜式内神社。神護景雲2年の創立、往古は村の東に当たる額山に鎮座。守護富樫家の崇敬も厚く、社頭造営ならびに社料の寄進もあり、額七ヶ村の総社と伝えられる。後富樫氏の兵乱に際し社殿焼失したので現地に遷座したといわれる。明治41年9月18日道勲社を合祀。明治33年郷社に列格。

石川県神社庁



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