里中に鎮座している。社殿は厳重に戸締まりがされている。 今昔物語猫島霊験記には熊田の宮の名前がでている。 元は、板津郷熊田村に鎮座していた。寛永年間手取川の洪水で熊田村は流出、金沢村泉野神社へ遷座し村民は湊村・吉原村へ移住した。 その後吉原の八幡宮に小祠を立て、熊田社として祀った。 |
由緒 熊田神社の由緒 延喜式内社にあてられる。 始め熊田村に熊田神社、吉原村に八幡宮があった。 寛永年間の大洪水で熊田村の神殿流失する。 明治9年両社を合祀して熊田神社と称す。 明治39年現今の地に遷座。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
熊田神社 熊田神社由来碑 能美郡根上町吉原町レの131 祭神 稲倉魂神 春祭 4月15日 秋祭 9月15日 社格 旧村社 熊田神社の創立は遠くして定かではないが延喜式には加賀國能美郡八座中に熊田神社とあり白山記には國之八社中熊田神社今昔物語猫島霊験記には熊田の宮の名前がでている古社であって所謂延喜式内社である 明治初年時の県令(今の県知事)桐山純孝より熊田神社は延喜式内社なるを以て毎月二回は必ず月次祭を行うべき旨仰せられ今に至るも毎月2日 16日の二回は氏子交互御供を奉り祭典を行っている 始め熊田村に熊田神社 吉原村に八幡宮があった 寛永年間の大洪水で熊田村の神殿流出す元禄14年の郷村名義抄によれば熊田村と吉原村と合併して吉原村と称し明治九年には許可を得て熊田 八幡の両社を合祀して熊田神社と改称す従来同字チ65番地に鎮座したが明治39年6月現今の地に遷座 明治40年9月2日神饌幣帛料供進神社に指定される昭和55年浄財の供進を得て新たに神輿をつくり秋まつりには氏子を渡御する 大正15年11月より安宅住吉神社神官が宮司職として奉祀している 社頭石碑 |
熊田神社 延喜式内社にあてられる。始め熊田村に熊田神社、吉原村に八幡宮があった。寛永年間の大洪水で熊田村の神殿流失する。明治9年許可を得て両社を合祀して熊田神社とす。従来同字チ65番地に鎮座したが明治39年6月現在の地に遷座する。明治40年9月2日神饌幣帛料供進神社に指定された。 石川県神社庁 |