明治までは、上流の七ツ滝の上、山の中腹に鎮座していたが、明治末に、現在地へ遷座したという。 古代の人々が七段の岩を流れる清流七ツ滝を神体として崇め奉ったことが神社の始まりと思われる。 |
由緒 始め瀧浪社と称し、明治22年瀧浪神社に改称。 創建は明らかではないが、式内多伎奈弥神社と伝えられ「式内等旧社記」に多岐奈弥神社式内一座山上郷長滝村鎮座今称白山社一有二布滝七段流下故故云二七滝一名宮滝云々とあり、社殿は明治初年まで山の中腹にあったが、後に今の地に移転した。 古鏡や土器が出土している。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
瀧浪神社 史跡 瀧浪社 平安時代(10世紀前半)の『延喜式』(律令の施行を決めた細則)の神名帳に「能美郡多伎奈美神社」と記載されており、式内社と呼ばれる由緒ある神社であったことがわかります。能美市内には、瀧浪社の他に 熊田神社、狭野神社が、式内社として知られています。古色蒼然としたスダジイの大木がおいしげる神域からはその歴史の古さをかいま見ることができます。 明治末に社地を現在地に移転しましたが、旧社地は上流の七ツ滝の滝上にあったといわれ、地元の素朴な滝神信仰から端を発したものと思われます。また、移転の際に、平安時代末期の鏡や壺、摺鉢などが発見されており(長滝経塚遺跡と呼ばれる)出土品は、博物館に展示されています。 社頭掲示板 |
瀧浪神社 能美市指定文化財 史跡 瀧浪社 瀧浪社は古く『続白本後記』の嘉祥2年(849)の条文に、従五位下に叙せられたらしい記述がみえ、「延喜式神名帳」には「多伎奈弥神社」と記されるなど、「式内社」(延喜式の内に記された神社)として古くから崇敬を集めている。 創建の時期は詳らかではないものの、古代の人々が七段の岩を流れる清流七ツ滝を神体として崇め奉ったことが神社としての始まりと思われる。 明治22年6月に山の中腹から上方の現在地へ社殿が移された際、平安時代末から鎌倉時代初頭のものとみられる鏡8点とそれを納めていた珠洲焼の壺1点、加賀焼の片口鉢1点のほか、鉄刀が出土したと伝えられ、古来、篤く信仰されていた様子がうかがわれる。 社叢林にはスダジイやウラジロガシ、ホオノキなどが生い茂っており、中でもスダジイは近郷では見られない巨木としてよく知られている。 自然が織りなす雄大さ、神々しさに対して、畏怖の念を抱いてきた人々の信仰と歴史を現在に伝える重要な古社である。 昭和39年5月1日指定 平成17年2月1日 能美市教育委員会 社頭掲示板 |
瀧浪神社 始め滝浪社と称し、明治22年滝浪神社に改称。創建は明らかでないが、式内多伎奈弥神社と伝えられ「式内等旧社記」に多伎奈弥神社式内一座山上郷長滝村鎮座今称白山社有布滝七段下故云七滝一名宮滝云々とあり、社殿は明治初年まで山の中腹にあったが、後に今の地に移転した。古鏡や土器が出土している。 石川県神社庁 |