石部神社
いそべじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】石部神社 加賀国 能美郡鎮座

   【現社名】石部神社
   【住所】石川県小松市古府町カ-169
       北緯36度24分23秒、東経136度30分10秒
   【祭神】櫛日方別命
       『神社覈録』『加賀志徴』大物主命

   【例祭】9月17日 例祭
   【社格】旧郷社 一宮 加賀国総社
   【由緒】弘仁14年(823)3月頃の創建
       仁壽元年(851)正月に正六位上
       寛治5年(1091)7月1日加賀守藤原爲房祈雨・帰京祈願
       安元元年(1175)兵災
       元享元年(1321)神主建部頼時追放
       建武2年建部頼春申上案「加賀国一宮」
       慶長5年(1600)小松城主丹羽長重社殿修理
       明治5年8月郷社
       明治39年12月29日神饌幣帛料供進神社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明造
       幣殿・拝殿・手水舎・社務所

   【境内社】

加賀国府の南に位置していたので、古くから府南社とも言われ、また総社でもあつたので府南総社とも称された。


石部神社

石部神社由緒
 主祭神 櫛日方別命(くしひかたわけのみこと)
 例祭日 3月17日・9月17日
 今を去る1160余年前の弘仁14年(823)3月越前国から分かれて加賀国ができた。その府庁のあった所がこの近くである。その南に当社がすでに祀られていたと伝えられる。府の南にあったので府南社とも称え、この地を府南山と号した。当時国司は、毎月一日に加賀の主な神社八社を廻り参詣した。やがて当社を加賀国総社とし、ここを参拝することによって八社を廻るのに代えた。当時の当社の隆盛と規模の雄大さは、加賀国第一であったといわれている。
 延喜年間(904)に「式内社」に列せられ、神名帳に登録されている。安元2年(1176)に国司と白山衆徒との争乱による涌泉寺事件に関係して、神社は大きな被害をうけた。その後往年の盛況はなく、応永28年(1421)の足利義持判書に「南禅寺領加賀国府南社御供田云々」とある如く、南禅寺と所領争いもあった。
 慶長5年(1600)小松城主丹羽長重は、社殿を修理し宝物を納められた。加賀三代藩主前田利常は厚く当社を尊信し、歴代藩主もまた厚く敬い奉幣した。明治5年8月、郷社に列せられた。明治39年12月神饌幣帛料供進社に指定された。現拝殿は昭和6年3月、神殿は昭和37年3月に造営された。
 幾年月の間に栄枯盛衰はくり返された。今は盛時の面影はないが、付近に残る数々の遺跡や田地名に、往年の状況を偲ぶことができる。どんなに変ろうと常に当社に敬神の誠を捧げ、お仕えしてきたのはこの国府(こう)の人達である。神もまたとこしえに私達をお守りになっている。
昭和61年3月吉日
撰文 小松市文化財調査委員長 北野勝次

社頭掲示板



石部神社

昔から船南山といわれ、弘仁14年加賀置国の時、本社は国府の南に当たっていたので府南社ともいわれ、加賀の惣社であった。式内社で白山八宮中に数えられ、歴代の国司の崇敬が篤かった。慶長年間小松城主丹羽長重が社殿の改築を行い、寛永年間前田利常が神宝を奉納した。明治5年8月郷社に列格。同39年12月神饌幣帛料供進神社に指定。昭和37年社殿改築。

石川県神社庁



加賀国INDEXへ        TOPページへ


学校情報