当初は、東の山中に祀られていた(現八里台団地)。その後一の鳥居と二の鳥居の間にある「雉の山」に遷。明治になって現在地に遷座した。 狹い谷間の野原の奥にあったために狹野の社と呼ばれたと伝。 |
狹野神社由緒 御祭神 素盞嗚尊命 天照大神 豊受比当ス 仰、当社は往昔、佐野集落の発祥の地である、東部丘陵団地の東端、峠路の山中に、鎮守の神として創建されたもので、郷民の崇敬厚く、嘉祥3年(850)に皇室から正六位上を賜った。狹い谷間の野原の奥にあったから狹野の社と称えられ、これが佐野の地名の起こりと言う。やがて祖先が農耕に便利な八丁川沿岸と鍋谷川沿岸に移住した。延喜7年(907)に式内社となって、全国でも著名な古社として知られたが、嘉元元年(1303)に南禅寺領となって、その管轄の政所が置かれた。その後南北両佐野が合体し、現在地へ氏神が遷座された。 前田藩政のとき、利常公が格別に崇敬され正保元年(1644)の春にご参拝、翌年の春の祭儀には自ら祭主となられた。明治35年県社に昇格し、同年神饌幣帛供進神社に指定され、明治40年に末社神田神社を合祀し大正13年拝殿を改築し、昭和50年に本殿、幣殿、社務所を造営した。 境内は二千坪余(神苑神楽山を含む)神田山、お守り山、雉の山の神域三山あって、樹齢未詳の椎の大樹のほか古松、老杉、喬木等繁茂した社そうが、昭和52年に寺井町指定天然記念物となった。境内に当地産業九谷焼の元祖を祭る陶祖神社があって本社の春季大祭の5月1日に続き、3、4、5日が茶碗祭りとして賑う。 われ等の祖先が幾千代かけて、えいえいと奉賛してきた尊とい当社は、世相が時代と共に推移しても、ふるさとの心のよりどころとして永久に敬神の誠をささげていかねばならない。 神社覈録に 狹野神社、狹野は假字也、祭神狹野尊歟、在所詳ならず 日本紀(神代・下)一書曰 狹野尊亦日本磐余彦尊云々 社頭掲示板 |