往古、この社地に面して潮津潟があり篠原に至る浜を八潮の湊と云い、馬や舟を用意した潮津駅もあり、安宅の関に至る交通の要衝であった。 |
潮津神社 潮津神社由縁 祭神 塩土老翁(天神さん) 応神天皇(八幡さん) 鎮座の年代は不詳であるが延喜の制国幣の小社に列せらる。往昔、この社地に面して潮津潟があり篠原に至る浜を八潮の湊と称し、舟常に入津し又旅行者のために馬や舟を用意した潮津駅もあり、安宅の関に至る交通の要衝として社頭常に盛大であった。この地の城主諏訪大膳守が崇敬し、しばしば奉幣祈願、神宅の寄進があったが兵火の為ことごとく灰燼に帰したと伝えられている。のちに大聖寺藩が潮津潟を埋立てた時に、前田利治公より神田を賜い、祭祀を厳にし、安産、魔除けの神として崇敬されている。 大正2年村社八幡社を合祀、大正4年神饌幣帛供進神社に指定。 御神徳 塩土の老翁は、塩の干満をつかさどる神で塩野干満が、安産に重要なかかわりをもつことから、安産の神として信仰されている。又知識の神としても崇敬され、この神の生まれ変りが菅原道真と伝えられ、故に天神さんとして尊信せられている。 昭和55年12月吉日 社頭石碑 |
潮津神社 延喜式内社にあてられる古社。往昔、この地に潮津潟があり篠原に至る浜を八潮の湊と称し舟入津し、また潮津駅もあって社頭常に盛大であった。この地の城主諏訪大膳守が崇敬し、しばしば奉幣祈願、神宝の寄進があったが兵火の為ことごとく灰燼に帰したと伝え、のちに大聖寺藩が潮津潟を埋立てた時に、前田利治より神田を賜り祭祀を厳格にし、安産、魔除けの神として崇敬された。明治初年村社に列格。大正4年神饌幣帛料供進神社に指定。 石川県神社庁 |