昔はこの地は吉崎から続いた湖水で、その潟に大蛇がすむといわれ守護神として大御食津神(おほみけつかみ)を祭り、御木神社と称したという。 旧社地は『三木村誌』(昭和32年)は「もとは宮山にあつた」とし、「大聖寺藩調帳」には、「往昔ハ今ノ宮地ニ非ラス村ヨリ東ノ方ニ古跡ヲ鳥先ト云下ノ方ヲ宮下トモ云古跡アリ」とし、『加賀江沼郡式内神社一覧図には「旧社地ハ村ヨリ三町計リ西……旧社地ハ俗ニ梅山ト呼ヘリ」とある。 |
由緒 御木神社由緒 往古は江沼の潟端にありて、三木の郷社といい、延喜5年(西暦 905年)に編さんされた延喜式神名帳に記載されている古社である。 社伝によれば当時は塩浦海岸に堀切がなく、江沼の潟と稱する大きな湖があり、ここに大蛇が樓みつき田畑を荒した。 この地の守神として大御食津神を奉祀し、御木神社と稱した。 中古の動乱の際、兵火にあい、社地を宮山から現在の地に移した。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
御木神社の由緒 主祭神 大御食津神・菅原道真 例祭 3月16日 9月16日 鎮座地 加賀市三木町 34-98 境内地 622坪 往古は江沼の潟端に在りて、三木の郷社と云い延喜5年(905)に編さんに着手された延喜式神名帳に菅生石部神社と共に江沼十一座の中に記載されています。 平安時代前期以来鄭重に祭典が営まれてきた古い神社である。 社殿によると当時は塩屋海岸に堀切が無く、江沼の潟と称するおおきな湖があり、おこに大蛇が棲みつき、まわりの田畑を荒らしたので、この地をお守りいただく大御神として大御食津神を奉り御木神社と称したと伝えられている。 「御食」は「御木」「右」「三木」とも通じており農業の神をお祀りしたと考えられる。中世の動乱の際兵火にあい社地を宮山より現在の地に移した。社格は村社であり、明治39年12月19日石川県告示にて神饌幣帛料供進神社に指定された。 明治40年3月11日右村新村の菅原道真を祀る賀女堂社を合祀する。社殿は明治25年に改築し右村全部を氏子とし春は3月秋は9月の各16日を祭日としてきた。 平成2年3月16日 社頭掲示板 |
御木神社 往古は江沼の潟端にありて、三木の郷社といい、延喜5年(905年)に編さんされた延喜式神名帳に記載されている古社である。 社伝によれば当時は塩浦海岸に堀切がなく、江沼の潟と稱する大きな湖があり、ここに大蛇が樓みつき田畑を荒した。この地の守神として大御食津神を奉祀し、御木神社と稱した。中古の動乱の際、兵火にあい、社地を宮山から現在の地に移した。 石川県神社庁 |