丘の上の社。道の途中にあり。叢林良く目立つ。覆屋にすべて覆われている。 このあたりは木曾義仲の軍勢と平家との合戦の行われた古戦場である。 |
篠原神社 篠原神社由縁 御祭神 天児屋根命 本社は上古よりの古社にして鎮座の年代は不詳であるが、元正天皇の御代養老2年の創建と伝えられ、延喜の制加賀国江沼郡十一座の内冒頭に記載され、国幣社に列せられていた。 往古潮津村の前潟より本社地に到る間を八潮の湊と称し故に「八潮宮」とも称されたという。境内社頭常に盛大にして七堂伽藍を有し輪奐の美を極めていたと伝えられている。 又当地は寿永2年の篠原の戦の古戦場にして木曽義仲より社領神宝等寄進ありと伝えられているがその後の戦乱の為、社殿神宝等悉く灰燼に帰したと口碑に残っている。 御祭神の天児屋根命は中臣氏の祖神とされ、言霊を掌る神であり、大中臣氏が人と神との仲執り持ちである祝部(神吏)であったといわれるところから祝部の祖神でもあられる。 社頭石碑 |
篠原神社 天正天皇の御代養老2年の創立と伝え、延喜式内社にあてられる古社。往昔潮津から当社地に至る浜を八潮の湊と称し、故に八潮の宮と称された。境内社頭常に盛大に七堂伽藍を有したと伝え、篠原の戦の折りには、木曽義仲も祈願し、神領等を奉納したと伝えられる。明治初年村社に列格。大正4年神饌幣帛料供進神社に指定。 石川県神社庁 |