佐世神社
させじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐世神社 出雲国 大原郡鎮座

   【現社名】佐世神社
   【住所】島根県雲南市大東町下佐世1202
       北緯35度18分32秒、東経132度56分58秒
   【祭神】須佐能袁命 奇稻田姫命 (配祀)譽田別命 足仲彦命 息長足姫命
   【例祭】10月27日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「佐世社」『出雲国風土記』
       弘安3年(1280)8月造営
       慶安5年(1652)5月造営
       貞享元年(1884)8月造営
       明治4年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白神大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造檜皮葺
       向拝・幣殿・拝殿・神饌所・社務所

   【境内社】

近世月根尾大明神 白神大明神の2社があり共に式内佐世神社を主張したが両社の関係は良好であった。
明治4年、白神明神が佐世神社とされて佐世八幡宮を相殿に祀り、仮山八幡宮は狩山八幡宮として相殿に佐世神社を祀った。
佐世神社の境内には椎木の大樹があり、この木はその昔 スサノオの尊が植樹したもので、代替わりしながら現在5代目の木と言われている。
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、川を下って海潮の須賀の地に向かう途中、白神山(佐世小学校の東方100mの所)に登って休んだ。そこでシイの枝を頭にさして舞った時にシイの実が落ちて、成長したという伝説が残る巨木がある。
またこの時踊躍を舞ったのが、日本における神楽の起源とされる。


佐世神社

佐世神社祭神及由緒
 祭神 須佐能袁命 奇稲田姫命
延喜式神名帳並ニ風土記所載ノ神社ニシテ 上佐世下佐世両村ノ産土神トシテ明治四年郷社ニ列セラル。須佐能袁命八岐大蛇ヲ退治シテ後、欣喜ノ余リ稲田姫ト神舞ヲナサレタ時、頭ニ刺シテイタ佐世ノ木ノ葉ガ落チタ。命ハ地ニサセト申サレ刺シタ木ガ今ノ佐世ノ社ナリ、故ニ此ノ地ヲ佐世ト云フ。後、出雲八所八幡ノ一社、佐世八幡ヲ合祀シ崇敬サレテイル神社デアル。

社頭石碑



佐世の森

佐世神社の境内にある。幹廻り約7.6m、枝が八方に拡がり約3.8m四方に及ぶ椎の古木で、枯れては又芽を吹き、現在のは五代目の木といい、「佐世郷。郡家の正東九里二百歩なり。古老の伝へに云へらく、須佐之男命、佐世の木の葉を頭刺して踊躍りたまふ時に、刺させる佐世の木の葉地に堕ちき。故、佐世といふ。」とあり、佐世の木の葉をかざして舞われ、その葉がここに落ちたので佐世というと伝えた。「出雲国風土記参究」
主祭神 須佐之男命・奇稲田姫命

社頭掲示板



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