出雲国風土記の「加多社」に相当する。
加多神社の参道に接する字輪内では、昭和27年、大東高等学校グラウンド造成工事の際、多量の土師器や碧玉、瑪瑙の勾玉及び破片、砥石等が発見されて、攻玉に関係があつたことが知られ、古墳時代中期の遺跡と考えらている。 |
由緒 氏神 加多神社について 社名 加多神社(この加多は神様の開墾された田、即ち神田が変化したのだといわれています。) 祭神 少彦名命 配祀 大己貴命(大国主命のこと) 神阿多津姫命(木花咲耶姫命ともいう) 少彦名命の御事蹟 少彦名命は高皇産霊神の子にましまし、はじめ高天ノ原よりお下りになり常世の国(南方の外国)においでになったが、後我が国においでになり、大国主命と兄弟の約束をし共に力を戮せ心を一つにして天下を経営なされ、人民や畜産のために、医療の法を定められ、又、鳥獣昆虫の災いをはらう為に禁厭の法をもお定めになった。 我が国の医術を学ぶ者も亦、大国主命とあわせてこの二柱を祖神としている。かくて大国主命の経綸の業が漸く見通しがつくようになって少彦名命に語って「吾、子と造る所の国は善く成れりと謂うべきかな」とおっしゃった。すると少彦名命は「或は成れるところもあり、或は成らざる所もあり」とお答えになったそうである。この言葉にはまことに深い意味が含まれているといわれる。少彦命は再び常世国にお渡りになった。 神社の起源 記録がないため明らかでないが、スクナヒコナノ命は此の地を根拠地として農耕医療等を教導された。その神徳を敬慕し古代より斎祀せられたものである。 社格 元郷社(明治4年より) 大正15年内務省より社務所改築実施の上は県社に昇格を許可の旨通牒を受けている。 祭礼日 3月28日 祈年祭 10月15日 例大祭 11月23日 新嘗祭 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
加多神社 氏神 加多神社について 社名 加多神社 (加多は神様の開墾された田即ち神田が変化したのだといわれています) 祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 配祀 大己貴命(大国主命のこと) 神阿多津姫命(木花咲耶姫命ともいう) 少彦名命の御事蹟 少彦名命は高皇産霊神の子どもさまで、はじめ高天の原よりお下りになり、常世の国(南方の外国)においでになったが、後、我が国においでになり大国主命と兄弟の約束をし、共に力を合せ心を一つにして天下を経営なされ、人民や畜産のために、医療の法をお定められ、また鳥獣昆虫の災をはらうために禁厭の法をもお定めになった 我が国の医術を学ぶ者もまた大国主命とあわせてこの二神を祖神としている。かくて大国主命の国をおさめる仕事がようやく見通しがつくようになって少彦名命に語って「吾、子と造る所の国は善く成れりと謂うべきかな」とおっしゃった すると少彦名命は「或は成れるところもあり、或は成らざる所もあり」とお答えになったそうである。この言葉にはまことに 深い意味が含まれているといわれる。少彦名命は再び常世国にお渡りになった 神社の起源 記録がないため明らかでないが、少彦名命はこの地を根拠地として農耕医療等を教導された。その神徳を敬慕し古代より斎祀せられたものである 社格 元郷社(明治4年より) 大正15年内務省より社務所改築実施の上は県社に昇格の許可の旨通牒を受けている 昭和50年より特別神社に指定される 祭礼日 3月28日 祈年祭 10月15日 例大祭 11月23日 新嘗祭 社頭掲示板 |
護符井戸について 往古より此の地に湧き出でている水である。 多くの祖先がこの水を護符として戴いてお陰を受けた霊水ですが、長い間埋没していました。 偶、この度の遷宮に際し、出現致しました。 水神様の名は、ミズハノメノカミと申しますが、龍神・龍王とも云われています。 御利益 飲料水・灌漑用水など、水全般にわたる守り神、また雨乞・雨止め・子授け・安産の守護神でもある。 社頭掲示板 |