現在地に鎮座していたが、源頼朝が出雲地方に八社を選んで八幡宮を勧請した(いわゆる八社八幡の一)ために、来次神社は衰微して、現在の社地の西方100m「跡の城」と呼ばれる地に移され、ささやかな祭祀が続けられていた。明治4年12月、八幡宮本殿の主祭神を来次神社として郷社に列し、八幡宮を合祀して現在に及んでいる。 |
来次神社 当社は「出雲国風土記」(713年)に「支須支(きすき)社」とあり、また「延喜式神名帳」(927年)に記載されている「式内社」でもある。祭神は「大巳貴命(おおなむちのみこと)」「武御雷命(たけみかづちのみこと)」別に「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」が合祀されている。 また当社は「八所八幡宮」の中の一社である。これは鎌倉時代にこの出雲国の八カ所に八幡宮が勧請され、これを「出雲八所八幡宮」というのである。 本来の社地は現地より西方100mのところにあり「跡の城」と呼ばれ現在でも石の祠が残されている。 社頭掲示板 |