来次神社
きすきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】来次神社 出雲国 大原郡鎮座

   【現社名】来次神社
   【住所】島根県雲南市木次町木次782
       北緯35度17分10秒、東経132度54分35秒
   【祭神】大己貴命 武甕槌命 (配祀)誉田別命
   【例祭】10月1日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「支須支社」『出雲国風土記』
       治承4年(1180)10月15日石清水より勧請
       建久3年(1192)石清水八幡を勧請(社伝)
       その後西方100m「跡の城」と呼ばれる地に移
       明治4年12月現在地に遷旧名に復

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと現在地に鎮座
        中世現在の社地の西方100m「跡の城」に遷座
        明治4年12月現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「室大明神」と称していた
   【社殿】本殿八幡流造銅板葺
       幣殿・拝殿・御輿庫

   【境内社】龍神社

現在地に鎮座していたが、源頼朝が出雲地方に八社を選んで八幡宮を勧請した(いわゆる八社八幡の一)ために、来次神社は衰微して、現在の社地の西方100m「跡の城」と呼ばれる地に移され、ささやかな祭祀が続けられていた。明治4年12月、八幡宮本殿の主祭神を来次神社として郷社に列し、八幡宮を合祀して現在に及んでいる。


来次神社

当社は「出雲国風土記」(713年)に「支須支(きすき)社」とあり、また「延喜式神名帳」(927年)に記載されている「式内社」でもある。祭神は「大巳貴命(おおなむちのみこと)」「武御雷命(たけみかづちのみこと)」別に「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」が合祀されている。 また当社は「八所八幡宮」の中の一社である。これは鎌倉時代にこの出雲国の八カ所に八幡宮が勧請され、これを「出雲八所八幡宮」というのである。
本来の社地は現地より西方100mのところにあり「跡の城」と呼ばれ現在でも石の祠が残されている。

社頭掲示板



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