風土記には「樋社」が二社あつて「樋社、同樋社」、近世初めには今の八本杉にあった「同樋社」を式社に比定する説もあった。当社は明治4年旧名に復して「同樋社」を合祀した。 式内社の斐伊神社と樋速夜比古神社の二社はどちらが本来当地にあった社であるかは不詳。『出雲風土記抄』では、当地は樋速夜比古神社の鎮座地とし、『雲陽誌』では、当地は斐伊神社の鎮座地としている。 埼玉県の氷川神社(旧官幣大社)は孝昭天皇5年に斐伊神社から分祀されたものとしている。 |
由緒 本社の創立は甚だ古く孝昭天皇3年に御分霊を武蔵国元官幣大社氷川神社に奉遷したと古史伝に記載されている。出雲風土記の樋社で延喜式に伊斐伊神社同社に斐伊波夜比古神社とあり、創立当時は二社あった。樋社を斐伊神社と改称したのは、もとこの郷の名が「樋」といったのを神亀3年民部省の口宣により斐伊と改めた為である。文徳天皇嘉4年神階正六位を授けられ、清和天皇貞観10年9月従五位下に同13年10月10日従五位上を授けられた。 延喜の制国幣小社に列せられた。中世より宮崎大明神と唱えられ地方九ケ村の崇敬が厚かった。明治5年郷社に列せられた。昭和20年12月15日「神道指令」によって社格を廃せられた。昭和20年8月1日宗教法人となり神社規則を制定し、神社本庁所属となった。昭和20年8月7日国有境内地309坪の無償譲与を受けた。昭和28年6月15日宗教法人の登記を完了した。昭和63年7月社務所改築し拡張して神楽の演出が出来る様間口三間、奥行二間とした。同時に手水社を設けた。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
斐伊神社 斐伊神社略記 1.祭神 須佐之男尊 稲田毘倍命 伊都之尾羽張命 合殿 樋通速夜比古神社 祭神 樋速夜比古命 1.由緒 本社の創立は甚だ古く孝昭天皇5年にご分霊を元官幣大社氷川神社に移したと古史伝に記載されている。 出雲風土記の「樋社」で延喜式に「斐伊神社同社座樋速夜比古神社」とある。天平時代に二社あったのを一社に併合したのであろう。他の一社は今の八本杉にあったと考えられる。「樋社」を斐伊神社と改称したのはこの郷の名が「樋」といったのを神亀3年民部省の口宣により「斐伊」と改めたことによる。延喜の制国幣小社に列せられ清和天皇貞観13年11月10日神位従五位上を授けられた。本社は中世より宮崎大明神と称えられ、地方九ヶ村の崇敬篤く明治初年までその総氏神としてあがめられた。明治4年5月郷社に列せられた。 明治16年馬場替えをし同40年5月日宮八幡宮稲荷神社を本社境内に移転し、境内末社とした。 昭和56年9月1日島根県神社庁特別神社に指定された。 昭和63年8月25日社務所を改築した。 1.祭祀 例祭 10月21日 祈年祭 3月21日 新嘗祭 11月30日 1.境内神社 日宮八幡宮 祭神 誉田別尊 息長足媛命 足仲彦尊 例祭9月15日 稲荷神社 祭神 宇迦御魂神他三柱 合殿 甘原神社 祭神古那比売命 例祭11月1日 火守神社 祭神 迦具土命 例祭 8月24日 1.神紋 二重亀甲に交い鷹の羽 1.社殿 大社造変態 社頭掲示板 |
斐伊神社 『出雲国風土記』には2つの樋社が記されるが、その1つが斐伊神社に比定される。もう1社の樋社(同社坐斐波夜比古神社)は八本杉のあたりにあったと考えられているが平安時代中頃には斐伊神社に合殿されていたと考えられている。主祭神は素盞鳴尊、稲田姫命、伊都之尾張命で、合殿された斐伊波夜比古神社の祭神は樋速比古命のほか二神となっている。斐伊神社は江戸時代には所在地の小字をとって「宮崎(埼)大明神」とよばれていた。 〈出典〉「木次町の史跡と文化財」(木次町教育委員会) 社頭掲示板 |