当社は須佐之男命の神蹟で、その創立は神代に属する。出雲風土記に在神祇官社の布須社、延喜式に布須神社とある社である。須盞鳴尊八岐大蛇を退治なされた後、宮居の地を諸方に求められるに当り、斐伊川の辺り此の延野の里の池で大蛇を斬り給う剣を洗い給いし境内に「布須池」と称する池があった。古来神事以外にこの水は用いないことにされた神聖な池であつた。中古当社に火災があつた時、社宝をこの池に投入して災厄を冤れたとの古伝があつたため、大正7年10月この池を俊喋したところ、鎌倉様式の銅鏡一面、直刀の破片、金銅の鞘が出現して、今に社藏されている。 この池は昭和39年の豪雨に埋没した。 |