出雲国風土記の「矢口社」に相当する。 スサノオ命のオロチ退治に由来する。毒酒を呑み眠っているオロチを矢で射られたところから矢口神社となったとされる。 この地で八岐大蛇の頭を切り落とし、500mほど南にある御代神社の旧社地で尾を切り裂いた、尾から出た剣が天叢雲剱 、後の草薙の剣である。 |
八口神社・草枕山 出雲国風土記には、「矢口社」と記載されています。また延喜式には「八口社」と記載されています。須佐之男命が八岐大蛇の八つの頭を斬られたにより八口大明神といわれた。 また、大蛇が八塩折の酒に酔い草枕山を枕に伏せっているところを、男命が矢をもって射られたので矢代郷、式内社矢口社という。 赤川は、安政年間まで草枕山の東南方を迂回して斐伊川に注いでいたが、度重なる水難のため山を真二つに切り開き流れを変え、現在に至っている。 主祭神 須佐之男命 社頭掲示板 |
八口神社 八口神社由緒 御祭神 素盞嗚命 ( すさのおのみこと ) 当社は延喜式神名帳 ( 927年 ) に記載されている式内社であり、また出雲国風土記(733年) にも八口社と記載されている極めて古い社である。 八口の由来は、神代の昔、簸 (ひ) の川上に於いて素戔嗚尊が八岐大蛇 を退治し給う時、命に追われた大蛇が川を流れ下って、かろうじてこの地まで辿り着き、草を枕に呻き苦しんでいた時、命が大蛇の八頭を切り伏せ給うた故事に因み八口という。 また、当社の旧記によれば、現今の社地は創建以来の社地であり、遷宮を重ねながら現在に至っている。 尚、当社の最古のものは永禄五年 ( 1562年 室町時代 ) と記されており、その棟札が現存している。 社頭掲示板 |