出雲国風土記の「宇乃遅社」に相当する。 近世大己貴命、須美禰命、素盞鳴命を合わせ祀って三社大明神と云ったが、天文から延寳までの造立再建の棟札はあるが鎮座勧請の年代ははっきりしない。 風土記の伝承から推定すれば、斐伊川の下流出雲郡の海神を此所に奉祀して、舟運の守護神としたのがもとであると考えられる。 往古は更に川辺近くに社地があつたと考へられる。 |
宇能遅神社 祭神 宇乃遅彦命 須我弥神 素盞鳴尊 稲田姫命 大国主命 由緒 雲陽誌曰出雲風土記に宇乃遅社同社あり延喜式に宇乃遅神社、同社に坐す須美祢神社と記せり、是則大己貴命須美祢神須佐能袁命も合祭して今俗に三社大明神と言う延徳年中より延宝まで造立再建の棟札あるも文意野俗にして鎮座勧請等不分明即ち古老語に曰往古は三社にて流鏑馬百手の的鷹野なむとの神事ありけるが中古より二社に減して本社計也祭事も多くは止みしか。弓掛松とて老樹あり。古老伝に曰風土記和名鈔に屋裏郷は天下造りし大神矢を合立給う故に矢内と言う神亀3年字を屋裏と改む往昔は屋裏郷一二ヶ村の総産土神にして弓掛松に弓を掛け矢聲の神事と唱え盛典でありたるが中古廃して祭儀も今は其の礼而己残れり。 明治4年12月村社に列格同39年4月勅令第96号に依り大正3年10月9日本県告示第316号を以て神饌幣帛料を供進なることを伝べき神社と指定せらる。 社頭掲示板 |