三沢神社
みさわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】三沢神社 出雲国 仁多郡鎮座

   【現社名】三沢神社
   【住所】島根県仁多郡奥出雲町三沢402
       北緯35度12分19秒、東経132度58分27秒
   【祭神】阿遅須枳高日子根命
       (配祀)大己貴命 素盞嗚命 氣長足比売命 少彦名命 五十猛命
       別雷命 志那都比古命 志那都比売命

   【例祭】10月29日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「三沢社」『出雲国風土記』
       仁寿元年(851)従五位下
       貞観13年(871)11月10日正五位下
       文明10年(1478)造営
       永正8年(1511)造営
       慶長15年(1610)造営
       明治4年12月社名を旧に復し郷社
       41年神饌幣帛料を進される神社に指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大森大明神」「高守大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造栃葺
       幣殿・拝殿・随神門・神樂殿

   【境内社】原田八幡宮・事代主社・蚕養神社・加茂神社
        高守神社・狼神社・社日社


出雲国風土記の「三沢社」に相当する。
この郷にある沢の水をもつて阿遅須伎高日子命が潔齋の沐浴をされ、これによつて身心の障害を去り立派に成人されたので、出雲国造の神賀詞奏上に先だつて行なわれる潔齋の儀には、この沢の水を用いることとなつた。このような意義深い御沢のある地なので三沢という地名となつたと伝えている。
この沢は、神社の西方、三沢城趾要害山の山頂近くにある「刀研池」がそれであると考えられる。
当地方は古代から良質の鉄を産したので、鋤・鍬・鎌等の農具を始め各種の鉄器を鍛造することが行なわれ、この鍛造に必要な清水の湧くこの地に鋤の神を祭つたものと思はれる。


由緒

吉田本、金剛寺本とも走田神社。妙見社とも稱せられていた。
創建年代不詳。古くから妙見菩薩が合祀されてゐたが、明治の神佛分離の折り、これは海印寺寂照院に移された。明治十六年の明細帳に記された由緒書では「鎮座傳記不詳。御局上ヶ知神社。除地妙見社九百三十年餘以前責字年中勤請之由申傳。造立之年數不分明。社地東西拾五間南北九間、外ニ境内有之旨元禄五申年ニ取調書上ヶ候。尚慶應四辰年三月右之趣書上ヶ候。後去ル明治十年六月ニ至リ社號改テ延喜式内走田神社ニ確定セラル前明治六年六月村社ニ公定セラル」となつている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



三沢神社

仁多郡仁多町三尺402
主祭神 阿遅須枳高日子根命
  御父 大穴持命(大国主命)御母 多紀理毘売命の御長子で、出雲風上記所載の三沢郷の伝承により当地に祀られたものである。
合祀神 大己貴命・素盞鳴命
    志那都比古命・志那都比売命
    気長足比売命・分雷命
    少彦名命・五十猛命
社歴
当社の創立は往古に遡り。既に出雲風土記(733)に三澤社として仁多郡の神祇官社二社中首位に記録され、次いて延喜式神名帳(927)には三澤神社とあるところから古く天平(729)以前から広く崇敬されていたものである。
神社の叙位は仁寿元年(851)初めて従五位下を授けられ貞観13年、(871)正五位下を授けられている。中世は歴代三沢氏の庇護を受け社領八十石の寄進かあり。徳川時代も歴代国主の崇敬をうけ松平治郷公(不味公)外三国主の参詣が記録されている。明治4年社格郷社に列せられ式内郷杜三沢神社となり。同41年神饌幣帛料を進される神社に指定される。
昭和20年宗教法人三澤神社となり同56年特別社の指定を受ける。
祭日
例大祭 10月29日
祈年祭 4月9日
新嘗祭 11月25日

社頭掲示板



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