雲根神社
くもねじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】神産魂命子午日命神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】雲根神社
   【住所】島根県出雲市大津町430
       北緯35度22分21秒  東経132度46分42秒
   【祭神】素盞嗚尊 稻田姫命
   【例祭】10月9-10日 例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・手水舎・倉

   【境内社】

斐伊川中の住民は開拓祖神としてヒメ神を祀っていたが、いつのまにか稲田姫となった。稲田神社と呼ばれていたが近くに鎮座していた素盞嗚尊を祀る石塚社を合祀したと云う。
 石塚は八岐大蛇をこの所に埋め、石を以て覆った。これで石塚というようになった。


由緒

当神社は平安時代の初め頃(約千年前)から、当時石塚郷(後の石塚村、現大津町の東半分)の大氏神としてまつられてきた神社で、初めは稲田姫命をまつる稲田姫の社と、八岐大蛇の荒魂を鎮めて素盞嗚尊をまつる石塚の社(あるいは石神の社とも)とに分かれていましたが、およそ藩政時代の初め頃(約四百年前)、この両社を合せ、互に社名を異にするところから、石塚の異名の雲根をとって雲根神社と称するに至ったお社であります。
素盞嗚尊の荒魂は破邪顕正の威力を発揮したまい、稲田姫命の和魂は殖産興業の働きをなしたもうものとして、古くは出雲国造家を始め代々の領主・武将の尊信も篤く、藩政時代には出雲の国十五名社の一に数えられておりました。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



雲根神社

祭神 素盞鳴尊・稲田姫命 祭日 10月9日・10日 当神社は古代から今の大津町の東半地区の守り神として祀られてきた神社であります。
初めは稲田姫社と称し、稲田姫命一神を祀る社でしたが、いつのころからか今のカントリークラブの所に、あの八岐大蛇の荒魂を鎮め、素盞鳴尊の神霊を杞る石塚社あるいは石神社という社ができ、しかもこの社名が元でこの地一帯を石塚郷あるいは石塚村といつていたのを、近世の初めこの社に合祀し、石塚の石の異名である「雲根」をもつて社号とするに至つたといわれています。
古くは出雲国造家の尊崇が篤く、戦国時代には塩冶・尼子・毛利氏ら武将の崇敬も篤くまた近世には出雲国内十五名社の一にあげられるほどに知られていました。
素盞鳴尊の荒魂は破邪顕正の威力を発揮したまい、稲田姫命の和魂は殖産興業の働きをなしたまう、いとも畏いお社であります。

社頭掲示板



雲根神社

雲根神社は古代以来この地に鎮座する旧石塚村の産土神で、もとは稲田姫命一神を祀り、社名も稲田姫社と称していた。ところが、いつごろからかこの地の東北方約100m余りの所に、あの八岐の大蛇の荒魂を鎮め、さらに素盞嗚尊を祀る石塚社という社ができ、そして鎌倉時代ころからそのあたりが杵築大社(出雲大社)の社領となったため、この方がより有名になり、ついにその社名「石塚」がこの一帯の地名ともなった。
しがし、中世も終わりになると、大社領は縮小され、ここでも地域の全体が石塚村として一本化した。ところが、そのころ水害があり、ことに天正元年(1572)の水害は甚しく、土地の様子を大きく変えてしまつた。おそらくそのためであろうが、近世に入る早々、ここに神社合祀の問題が起り、結局、石塚社はこれを古代以来の産土神である稲田社に合祀し、御祭神を素盞嗚尊・稲田姫命の二柱とし、しかし社名はすでに村名にもなっている石塚の「石」の語を生かすことにし、その異名「雲根」をもつて新社名とすることにした。これが今日の雲根神社に直接結びつく由緒である。
もともとこのあたりは大川の中の洲であったから、集落も初めは神社を中心に南北に長く展開していたものと思われる。ところが、さきにいう天正の大洪水のとき、奔流の一本が西へ向かつて長い洲をつくり上げた。水が止まった後、それが帯状のものとして残った。近世になり、出雲国は切め堀尾氏、次いで京極氏が知行した。京極藩主若狭守忠高は土工に熱心で、寛永12年(1625)いわゆる若狭土手を築道するとともに、国道の建設にも力を入れ、右にいう帯状の高みをめどとして、石洲街道すなわち今日の町通りの道を普請した。そしてさらにこれを管理させる目的で翌13年、それまで山麓の七面山の下に集中していた大津村の家々をすべてこの新道の一角に移転させた。そのため石塚村では村の中にあたかも島状をなして隣村の町ができるということになつたわけである。これが今日なお本町一・二・中町の地区がが氏子関係を異にしている所以である。
ともあれ、こうして村の中に町ができると、これによつて人家も自然町に向かって集中するようになる。そのため村方ではしだいに人家が減り、一時はこのあたりにお宮とヨコヤしかないという状態にもなつていた。それが今やふたたび昔に返りつつあるわけであるが、その間雲根神社は一貫してこの地に鎮座ましまし、氏子のために恩顧を垂れたもうているのである。

社頭掲示板



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