比那神社
ひなじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】比那神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】比那神社
   【住所】島根県出雲市姫原1丁目1-59
       北緯35度22分17秒、東経132度45分19秒
   【祭神】武夷鳥命 木花之佐久夜比売命
   【例祭】4月23日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「比奈社」『出雲国風土記』
       貞享2年(1685)祠を造立
       享保9年(1724)造営
       大正11年現社殿造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「比奈原大明神」「姫宮大明神」と称していた
   【公式HP】 比那神社
   【社殿】本殿大社造銅板葺
       幣殿・拝殿・手水舎

   【境内社】

中世以降衰微し、江戸時代になつても藪の中に石を祭つただけの所在を示す程度の微々たる社であつた。
現在も境内にこの石が祀られている。
建久7年源頼朝により、出雲に八所の八幡宮が勧請された。隣町の白枝にも八幡宮が勧請され、周辺の住民は、すべて八幡宮の氏子となった。そのため、出雲風土記記載の、比奈社、大山社、阿利社等の祭祀が断絶した。


比那神社

当社は出雲風土記(733年)及び延喜式に所載の古社にして御祭神は比那鳥命別名を武夷鳥命、武日照命とも申し日本書紀に明らかなり。即ち天照大神の御子天穂日命を父神として大国主命に対し国土奉献の使者の任務を平和裡に遂行された軍使の神で後ここ北郡原の地に宮造り鎮座し給う。

社頭掲示板



比那神社

当社は出雲風土記及び延喜式に所載の古社にして御祭神は比那鳥命、別名を 武夷鳥命、武日照命とも申し日本書紀に明らかなり。即ち天照大神の御子天之穂日命を父神として天孫降臨に先立ちこの出雲国に降りて大国主命に対し國土奉献の使者の任務を平和裡に遂行された軍使の神で後、此処比那原の地に宮造りし鎮座し給う。
 当社は天平5年(733年)の『出雲国風土記』に「比奈社」として、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に「比那神社」として記されている古社で、祭神の比那鳥命は、この出雲国に天降り大国主命(オオクニヌシ)に対して国譲り交渉を行いその後、比奈原(姫原)の地に宮造りし鎮座されたことが始まりと云われています。
 出雲風土記に、在神祇官と載せられたる神祠にして、文徳天皇の嘉祥4年正月に正六位上に叙し奉り、宇多天皇の寛平5年更に一階を加え官社に列し重く神祇官に祭らせ給えり。
 祭神比那鳥命は又の名を武夷鳥、武日照、建比良鳥、背脛、天鳥船命と称え奉り天勅を奉じ父天穂日命に順い、御譲國の大事に預り坐して大功を奏し坐せり。
 その縁由により此國に留り出雲臣等が祖と成らせ給えり。当地は簸の大川の西岸に在り、武志浜及び稲佐浜の南方にして、出雲民族の繁殖するまにまに祠檀を造りて齋い奉れるなり。
 然るに簸の川屡々氾濫し社頭荒蕪に属せんとするとき、貞享2年郡吏山崎時熈氏子を督励して御社殿を再興し奉れり。爾来著大なる異変なく、明治5年村社の列に入り給う。

公式HP



出雲国INDEXへ        TOPページへ



順悠社