塩冶神社
えんやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】塩冶比古神社 出雲国 神門郡鎮座
   【延喜式神名帳】塩冶神社 出雲国 神門郡鎮座
   【延喜式神名帳】塩冶比古麻由弥能神社 出雲国 神門郡鎮座
   【延喜式神名帳】神産魂命子午日命神社 出雲国 神門郡鎮座
   【延喜式神名帳】塩冶日子命御子燒大刀天穂日子命神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】塩冶神社
   【住所】島根県出雲市上塩冶町1749-1
       北緯35度21分8秒、東経132度45分52秒
   【祭神】塩冶比古命
       (配祀)塩冶比売命 塩冶比古眞弓命 燒大刀天穗彦命
       (合祀)誉田別命 塩冶判官高貞

   【例祭】4月15日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「夜牟夜社」『出雲国風土記』
       延慶年間(1308−11)塩冶頼泰八幡宮を勧請
       天文2年(1533)造営
       天正16年(1588)造営
       慶長19年(1614)堀尾藩寄進状三十石
       寛永(1624−44)のころ炎上
       寛永11年(1634)京極藩寄進状四十五石
       正徳3年(1713)現在地へ遷
       安政3年(1856)9月18日造営
       明治初年塩冶神社と改称
       明治4年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は現社地より東方ないし北方の山の手
        中世塩冶八幡宮の相殿
        正徳3年(1713)現在地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「塩冶八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造栃葺
       中殿・拝殿・釜屋・庁舎・随神門

   【境内社】天満宮・杵築社・稻荷社・荒神祠・社日祠

塩冶比古神社は現社地より東方ないし北方の山の手にあつたが、中世塩冶氏の発展に伴ふ八幡宮の勧請によつてその八幡宮に迎えられ、八幡宮とともに正徳3年(1713)現在地に遷つたと思われる。
本殿内部は内外両陣に分れ、内陣に内殿三基を安置するが、その正中は塩冶の諸神、左座は八幡大神、右座は高貞霊神であるとする。
石段を下つて約250m進んだ地点の北側が正徳以前の社地であつたというが、ここは全くの平地であり、現在では水田ないし宅地となつている。
式内社の塩冶神社・塩冶比古神社・塩冶比古麻由弥能神社・神産魂命子午日命神社・塩冶日子命御子燒大刀天穂日子命神社の5社を「合祀」としているが塩冶比古神社については合祀されている記録があるが、他の4社は現存する棟札・指出帳にかかる限り、近世以前の塩冶八幡宮にこれが合祀されていた痕跡はない。


塩冶神社

例祭日 4月15日
当社は大国主命の御孫神である塩治毘古命とその妻神である塩治毘売命を主祭神として御祭りしております。御創建の年代はあまりにも古く詳しくは判りませんが地名として塩治(出雲風土記では夜牟夜止屋)の字が始めて用いられたのは神亀3年(726年)であります。当時塩治郷を治められた産土神様として郷民の崇敬していた事は明らかであり、爾来今日に至るまで引き続き塩治の郷の氏神様として信奉して参った次第であります。
尚、鎌倉時代に時の守護職塩治頼泰公が勇武を尊ぶ趣意から誉田別命を合殿に勧請したことにより塩治八幡とも呼称されて参りました。

社頭掲示板



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