富能加神社
ほのかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】富能加神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】富能加神社
   【住所】島根県出雲市所原町3549
       北緯35度17分49秒、東経132度45分55秒
   【祭神】本牟智和気命 肥長比売命
       (配祀)伊弉諾尊 伊弉冉尊

   【例祭】4月12日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「保乃加社『出雲国風土記』
       嘉永2年(1849)造営
       明治5年富能加神社に改称村社
       明治44年小野神社社地に移転
   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は現社地の北約1Km、安谷川に沿う地にあつた
        明治44年小野神社社地に移転

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「星神大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造曽木葺
       幣殿・拝殿・神樂殿・随神門

   【境内社】

垂仁天皇の御子・本牟智和氣尊が出雲大社に参拝するため出雲国に来られ、檳榔の長穂の宮に留まった時に、肥長毘賣尊と結ばれた。ここはその長穂の宮の古跡であるという。
旧社地は現社地の北約1Km、安谷川に沿う地にあつた(出雲市所原町安谷1276番地)。旧社地の背後の星神山(又は鉾山)に二坪の広さの岩窟があり、その中に社殿が安置されていた。明治44年12月にこの地を去り、小野神社々地に移転し現在に及んでいる。


由緒

富能加神社御由緒
主祭神 本牟智和気命、肥長比売命。合祭 伊弉諾尊、伊弉冉尊
創立年代は不詳であるが永久2年2月再建の棟札のあるところから見れば鳥羽天皇以前に齋祀されたことは明らかである。社伝によれば延喜の御世には社殿も荘厳にして朝廷の崇敬も篤かったのであるが後兵乱の為衰微し何時の頃からか安谷の星神山の中腹の厳密に鎮め奉り麓に拝殿を設けて祭事を執行した。
明治4年12月小野神社に代って所原見々久の産土神に指定された(見々久は明治17年6月御崎神社を産土神に定められ分離)。又明治44年12月現在の小野山領に移転し小野神社を合祀することとなった。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



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