熊野神社
くまのじんじゃ
火守神社 に合祀
所在地 社名















   【延喜式神名帳】久奈爲神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】火守神社
   【住所】島根県出雲市宇那手町1341
       北緯35度20分7秒  東経132度48分7秒
   【祭神】(火守神社)櫛八玉命 迦具土命 闇おかみ神
       伊邪那岐命 事解男命 速玉男命
       (合祀)誉田別命 息長足姫命 武内宿禰命 大歳神 御歳神 若歳神 木花咲耶姫命

   【例祭】(火守神社)10月10日 例祭
   【社格】(火守神社)旧郷社
   【由緒】天文12年(1543)造営
       明治4年「火切大明神」が郷社
       明治4年火守神社と改称
       明治40年火守神社を熊野神社(現在の社殿)へ合殿合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

村内には、火鑚社 熊野神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社が鎮座していた。
この熊野神社を久奈爲神社に比定する説がある。
明治以前は熊野信仰が盛んで、村内でも産土神社は熊野神社であった。明治4年に「火切大明神」は社格が『郷社』に昇格し、熊野神社に代わって産土神社となった。この時に神社名を、出雲國風土記に記載された社名の【火守神社】に改名した。
明治40年に火守神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社を熊野神社(現在の社殿)へ合殿合祀し火守神社とした。


火守神社

火守(ほもり)神社略記
一、御祭神 主祭神 櫛八玉命 国譲りが行われた多藝志乏小浜(現武志町鹿島神社付近)で膳夫(接待役)として館を建て、土器を作り、火を切り出し、盛沢山の料理で使者をもてなして、交渉が円満に成立するように尽力された。料理の祖神として祀られている。古事記
配祀神 伊邪那岐命 事解男命 速玉男命
熊野神社の御祭神明治以前は宇那手の氏神神社
応神天皇 息長足姫命 武内宿禰命
八幡宮の御祭神(熊野神社の右脇に鎮座最古の棟札は天文12年(西暦1543年468年前)
木花咲耶姫命 朝間神社の御祭神
神社は村内共和の井下の後の岩山に鎮座 創立は明和2年現在は社殿も新築され、太平、西谷の有志の方により篤く崇拝されている。
大歳神 御歳神 若歳神
大歳神社の御祭神
元は宇那手下集会所の地に鎮座、今も廻の方々に依り旧2月7日に午前は祷家祭、午後は神社で例祭が斎行され崇敬されている。
創立は明和2年(1765年)
一、祭日◎祈年祭4月1日◎例祭10月第二日曜日◎献穀祭12月1日
一、由緒 創立年代は不詳なれど、出雲國風土記に式外社『火守社』と記されており、これ以前と云うことになる。
字那手村右谷の屋敷の下に有る火鑚瀧の淵付近に『火鑚社』として鎮座されていたと言い伝えれる。
村内には、熊野神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社も鎮座され、戦国時代には領主古志氏から篤く崇敬を受けていたと云う。
火鑚社は、明和2年(西暦1765年)江戸中期に村内平林に遷座されている。
明治以前は熊野信仰が盛んで、村内でも産土神社は熊野神社であった。明治4年に「火切大明神」は社格が『郷社』に昇格し、熊野神社に代わって産土神社となった。この時に神社名を、出雲國風土記に記載された社名の【火守神社】に改名することになる。
明治40年に火守神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社を熊野神社(現在の社殿)へ合殿合祀することになる。
同時に、産土神社である火守神社が主祭神となって今日に至る。
現在の社殿は寛政7年(西暦1795年)江戸時代末期に建立されたもので、約216年前のことになる。
因に、火守神社の棟札で最古は、天正3年(西暦1576年)で435年前のものである。
一、境内社◎秋葉社 御祭神 迦具土命 ◎若宮 御祭神 建御雷命 布津主命
◎稲荷社 御祭神 宇迦之御魂 ◎御碕社 村内に邪神悪神の侵入を防ぐ先祓の神
◎天満官 御祭神 菅原道真命 
一、神事・芸能 ★獅子舞(伊勢流十段)昭和34年出雲市無形文化財に指定される
★神代神楽
一、付記◇昭和48年3月櫛八玉命の御分霊が岐阜県下呂温泉飛騨高崎神社に料理の祖神として奉斎される

社頭掲示板



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