出雲国風土記の「大山社」に相当する。 建久7年(1196)源頼朝は八幡大神を崇敬し、出雲に八所八幡を勧請し、朝山嘉邑に朝山八幡宮(白枝に在り、元禄元年今の地に遷座)の祭事を命ず。その後領地数ヶ所百姓等悉く白枝の八幡宮の氏人となり。大塚村比奈社、小山村大山社、阿利社等の祭奠断絶し、社宇は荒廃に帰した。 |
大山神社 大山神社(由緒) 出雲市小山町110 御祭神 大山津見命 祈年祭 3月(第三土曜日) 例大祭 10月10日(当面は体育の日) 新嘗祭 11月(第二日曜日) 御神紋 二重亀甲に大の文字 大山神社は、日本で最も古い書物である『古事記』『日本書紀』に続く『出雲国風土記(733年)』に「大山社(おおやまのやしろ)」として その名がみえる。さらに『延喜式(927年)』にも「大山神社」と記載される式内社である。創立年代は詳かではないが式内社であることから推考しても、千年以前の創立であることは明白である。 また、古老の伝承によると現在の小山町東北端、大塚町との境辺りに小高い丘陵地があり、そこに大山社として祀られ、地域住民の信仰の対象として尊崇されていたらしい。その当時、斐伊川は西折して神門の水海、すなわち神西湖に注ぎ、日本海に流れていた。その後、しばしば川の氾濫、洪水で地形は様変わりして、大山社は元の地から下流に押し流され、現在地に留まって鎮座まし坐したと言う。 御祭神(オオヤマヅミ)は、伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の二柱の御子神であって、富士山にある浅間神社の御祭神、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の父神に当たり、昔より林業守護の神と伝えられてきた。一説によると、この神は自然への感謝と畏敬の念から祀られた山の神とされる。後世には食物の神、あるいは農耕の神としても祀られるようになった。 明治5年に村社に列せられ、村から神饌幣帛料が供進されていたが、先の大戦を経て、昭和21年以後は神社本庁包括下の宗教法人となって今に至る。 平成23年10月10日 社頭掲示板 |