阿利神社
ありじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿利神社 出雲国 神門郡鎮座
   【延喜式神名帳】同社坐加利比売神社 出雲国 神門郡鎮座
          (合祀)加利比売神社
          (旧地)阿利神社旧地

   【現社名】阿利神社
   【住所】島根県出雲市塩冶町1686
       北緯35度21分20秒、東経132度44分50秒
   【祭神】阿遅須枳高日子根命
       (配祀)加利比売命 (合祀)猿田比古命 宇受売命

   【例祭】9月1日 例大祭
   【社格】旧無格社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「阿利社」『出雲国風土記』
       中世社宇荒廃
       明治15年「弾正社」の境内に移
       戦後独立した神社となる

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は現社地の北々西800m塩冶町有原
        明治15年「弾正社」の境内に移

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「阿利原森神社」「姫宮大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造銅板葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】弾正社

出雲国風土記の「阿利社」に相当する。
建久7年源頼朝は八幡大神を崇敬し、出雲に八所八幡を勧請し、朝山嘉邑に朝山八幡宮(白枝に在り、元禄元年今の地に遷座)の祭事を命ず。その後領地数ヶ所百姓等悉く白枝の八幡宮の氏人となり。大塚村比奈社、小山村大山社、阿利社等の祭奠断絶し、社宇は荒廃に帰した。
明治15年高西の旧家吾郷家の私祭する「弾正社」の境内に移遷し、戦後になつて吾郷家より社地の寄進を受けて独立した神社になつた。


由緒

本神社は出雲国風土記(733年)に阿利社と記してありまた延喜式神名帳(927年)には阿利神社と明記してある。いわゆる式内社で由緒古い神社であって古来より高西地区の崇敬神社として拝崇されている。祭神阿遅須枳高日子根命は天下造りたまいし大神(大国主神)と胸形(九州福岡宗蔵大社)の奥津宮の多紀理姫命との間に生れ給うた神であり、塩冶神社の祭神塩冶毘古能命の親神である。
「アジ」は味の良いという意「スキ」は田を耕す農耕器具「タカヒコ」は高く輝く太陽の子「ネノミコト」は物事に粘り強い性格を有する男神を意味する。
出雲国風土記に「高岸の郷郡家の東北二里なり所造天下大神の御子阿遅須枳高日子根命甚く昼夜哭き坐しき仍りてその処に高屋を造りて坐させ即ち高橋を建てて登上り降りして養し奉りき故高崖と云ふ神亀三年に字を高岸と改む」とあり、高岸が高西となったものと伝えられている即ち神の住居されたところにお祀りしたものである。
本神社はもと現在地より北々西約500米の市民会館西方の地にありしが明治15年に故あって現在に至る。旧社地を記念し「延喜式内社阿利神社跡」の石碑が児童図書館の西北隅に建立されている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



阿利神社縁起

祭神 阿遅須枳高日子根命
合殿 加利比賣神社 加利比賣命を祀る(主祭神のお妃)
合殿 幸神社 猿田比古命 宇豆賣命を祀る
境内社 彈正社 吾郷彈正武利命(尼子の武将)吾郷家が勧請して祀る
 本神社は出雲国風土記(733年)に阿利社と記してあり、また、延喜式神名帳(927年)には阿利神社と明記してある、いわゆる式内社で由緒古い神社であって古来より高西地区の崇敬神社として拝崇されている。
 祭神、阿遅須枳高日子根命は天下造りたまいし大神(大国主神)と胸形(九州福岡宗像大社)の奥津宮の多紀理姫命との間に生れ給うた神であり 塩冶神社の祭神塩冶毘古能命の親神である。
 「アジ」は味が良いという意「スキ」は田を耕す農耕器具「タカヒコ」は高く輝く太陽の子「ネノミコト」は物事にねばり強い性格を有する男神を意味する。
 出雲国風土記に「高岸の郷、郡家の東北二里なり。 所造天下大神の御子阿遅須枳高日子命、甚く昼夜哭き坐しき。仍りて、その処に高屋を造りて坐させ、即ち高椅を建てて登り降りして養し奉りき。故高崖と云ふ。神亀3年に字を高岸と改む。」と あり高岸が高西となってものと伝へられている。
 本神社は、もと現在地より北々西約800mの 市民会館北西の地にありしが、明治15年に故あって現在地(吾郷家の先祖を祀る彈正社の境内)に移遷され、戦後社地を吾郷家より寄進され現在に至る。
 旧社地を記念し「延喜式内社 阿利神社跡」の 石碑が児童図書館の西北隅に建立されている。
例大祭 9月1日
平成元年11月23日 拝殿建築記念建立

社頭掲示板



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