出雲国風土記の「多支枳社」に相当する。 出雲国風土記には、在神祇官社としての多伎枳社と、不在神祇官社としての多支々社とがある。 多伎枳社が式内多伎芸神社であり、多支々社は現在境内社となっている。祭神等で両社に混乱がある。 雷大明神と称し、氏子は古来雷災を受けず、他村の人も当社の守札を所持すれば雷除けになるという。 縁起によれば、多伎伎姫の鎮座所を多伎と云うとあり、現町名田儀の由来もこれにちなむとみられる。当神社の祭礼で等筆すべき神事には、400年以上も続き今も継承されている湊浜頭屋敷神事がある。 |
現在 | 本社 多伎藝神社 多伎々比賣命 伊弉那伎尊 大迦牟須美命 | 境内社 多伎支神社 多伎吉比賣命 |
社伝 | 多伎枳社 伊弉那伎尊 大迦牟須美命 | 多伎々社 阿陀加夜努志多伎吉比賣命 |
出雲風土記 | 在神祇官社 多伎枳社 | 不在神祇官社 多支々社 |
延喜式神名帳 | 多伎藝神社 | |
雲陽誌 | 多支々社 (雷明神) 武雷神 | |
出雲国式社考 | 多伎藝神社 (雷明神) 武雷神 | |
出雲神社巡拝記 | 津野大明神 あだかやぬしたききひめの命 | 雷大明神 わきいかづちの神 |
多伎芸神社 「出雲国風土記」の多伎枳社、「延喜式」の多伎藝神社、「風土記抄」の田儀大明神にあたる神社。 慶雲2年、(705)、宮床の地(現在の宮地の前方か)に多伎々社を勧請し、阿弥加夜怒志多伎吉比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)を祀った。養老4年(720)、奥田儀に多伎枳社を勧請し、伊弉那伎命(いざなぎのみこと)、大迦牟須美命(おおかむずみのみこと)を祀ったが、後年、多伎々社へ合祀した。この二神は雷大明神ともいい、雷よけの神として信仰が厚い。 いちじくの里多伎きらりプロジェクト |