多伎芸神社
たききじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】多伎芸神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】多伎芸神社
   【住所】島根県出雲市多伎町口田儀1365
       北緯35度15分0秒、東経132度35分34秒
   【祭神】多伎伎比売命 伊邪那伎命 大迦牟豆美命
   【例祭】10月19日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】慶雲2年(705)勧請
       天平5年(733)2月30日「多支枳社」『出雲国風土記』
       天文22年(1553)尼子氏による再建
       寛永6年(1629)造営
       延宝8年(1680)現在地に遷
       明和8年(1771)造営
       明治5年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古は宮床という所に鎮座
        延宝8年(1680)現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「雷明神」「津野大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造銅板葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】金刀比羅神社・多伎支神社


出雲国風土記の「多支枳社」に相当する。
出雲国風土記には、在神祇官社としての多伎枳社と、不在神祇官社としての多支々社とがある。
多伎枳社が式内多伎芸神社であり、多支々社は現在境内社となっている。祭神等で両社に混乱がある。
雷大明神と称し、氏子は古来雷災を受けず、他村の人も当社の守札を所持すれば雷除けになるという。
縁起によれば、多伎伎姫の鎮座所を多伎と云うとあり、現町名田儀の由来もこれにちなむとみられる。当神社の祭礼で等筆すべき神事には、400年以上も続き今も継承されている湊浜頭屋敷神事がある。


   【複雑な祭神】本社多伎藝神社と境内社境内社多伎支神社は混同され、取り違えられ、祭神や由緒に関して、判然としない。式内社調査報告では以下のように記している。

現在本社
多伎藝神社
多伎々比賣命
伊弉那伎尊
大迦牟須美命
境内社
多伎支神社
多伎吉比賣命
社伝多伎枳社
伊弉那伎尊
大迦牟須美命
多伎々社
阿陀加夜努志多伎吉比賣命
出雲風土記在神祇官社
多伎枳社
不在神祇官社
多支々社
延喜式神名帳多伎藝神社 
雲陽誌 多支々社
(雷明神)
武雷神
出雲国式社考多伎藝神社
(雷明神)
武雷神
 
出雲神社巡拝記津野大明神
あだかやぬしたききひめの命
雷大明神
わきいかづちの神


多伎芸神社

「出雲国風土記」の多伎枳社、「延喜式」の多伎藝神社、「風土記抄」の田儀大明神にあたる神社。 慶雲2年、(705)、宮床の地(現在の宮地の前方か)に多伎々社を勧請し、阿弥加夜怒志多伎吉比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)を祀った。養老4年(720)、奥田儀に多伎枳社を勧請し、伊弉那伎命(いざなぎのみこと)、大迦牟須美命(おおかむずみのみこと)を祀ったが、後年、多伎々社へ合祀した。この二神は雷大明神ともいい、雷よけの神として信仰が厚い。

いちじくの里多伎きらりプロジェクト



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