出雲国風土記の「阿如社」に相当する。 現在の社地にあった二部八幡宮は建保4年10月宇佐本宮より勧請され、鎌倉時代より武家守護神として崇敬篤く、五十数石の社領をもつ神社であつた。明治維新の変革時に八幡宮は無格社に指定され阿祢神社に吸収合祭されることになつた。 明治24年になつて阿祢神社は旧八幡宮地に遷座、社地も社殿も二部八幡のものを引継いでいる。 |
阿祢神社 延喜式内社 出雲國風土記所載社 由 緒 御祭神 天照皇大御神 素戔嗚尊 品陀和気尊(八幡大神) 惟神大神 出雲國風土記(713年)に阿如社とあり、創立年代不詳なるも神亀年中に伊弉諾・伊弉冉尊の御子達三柱の姉なる大神鎮座し給われ、この地を姉の里と云う、と古書に見えている。延喜式神名帳に所載(式内社)の神社で、その御神徳は今日まで及び村は栄え、子孫は生業を得て?栄している。 この鎮座地には建保4年(1216年)に出雲國守護佐々木信濃守義清が建立した八幡宇佐宮が存在しており、天文10年(1541年)佐々木民部詮久が造営し、永禄年中に小早川隆景が再建したという。(雲陽誌による)この八幡宇佐宮は、鎌倉時代より武家守護神として崇敬厚く、また佐々木家代々の祈願社として五〇数石の社領を保有していた。只、惜しむらくは、これだけ格段の規模を誇る神社でありながら、慶長年中の神領没収、また本社焼失により宝物、棟札古文書の大半を失い、明治5年の神社改正には十分な処遇がなされなかったことは、後人の等しく遺憾と思うところである。明治24年、両社は合祀されて現在地に遷座されている。 公式HP |