阿祢神社
あねじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿祢神社 出雲国 神門郡鎮座

   【現社名】阿祢神社
   【住所】島根県出雲市湖陵町二部5
       北緯35度18分30秒、東経132度40分45秒
   【祭神】天照皇大神 (合祀)品陀和気命 素盞之嗚命
   【例祭】10月18日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「阿如社」『出雲国風土記』
       寛文9年(1669)造営
       正徳3年(1713)冬大雪で崩壊
       明治5年村社
       明治24年旧八幡宮地に遷座

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古姉谷中央に鎮座
        中古姉谷高丸山の根なる川端に遷
        宝暦年中姉谷奥に遷
        明治24年10月3日現今の地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「姉谷大明神」と称していた
   【公式HP】 阿祢神社
   【社殿】本殿大社造銅板葺
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】

出雲国風土記の「阿如社」に相当する。
現在の社地にあった二部八幡宮は建保4年10月宇佐本宮より勧請され、鎌倉時代より武家守護神として崇敬篤く、五十数石の社領をもつ神社であつた。明治維新の変革時に八幡宮は無格社に指定され阿祢神社に吸収合祭されることになつた。
明治24年になつて阿祢神社は旧八幡宮地に遷座、社地も社殿も二部八幡のものを引継いでいる。


阿祢神社

延喜式内社 出雲國風土記所載社
由 緒
御祭神 天照皇大御神 素戔嗚尊 品陀和気尊(八幡大神) 惟神大神
出雲國風土記(713年)に阿如社とあり、創立年代不詳なるも神亀年中に伊弉諾・伊弉冉尊の御子達三柱の姉なる大神鎮座し給われ、この地を姉の里と云う、と古書に見えている。延喜式神名帳に所載(式内社)の神社で、その御神徳は今日まで及び村は栄え、子孫は生業を得て?栄している。
この鎮座地には建保4年(1216年)に出雲國守護佐々木信濃守義清が建立した八幡宇佐宮が存在しており、天文10年(1541年)佐々木民部詮久が造営し、永禄年中に小早川隆景が再建したという。(雲陽誌による)この八幡宇佐宮は、鎌倉時代より武家守護神として崇敬厚く、また佐々木家代々の祈願社として五〇数石の社領を保有していた。只、惜しむらくは、これだけ格段の規模を誇る神社でありながら、慶長年中の神領没収、また本社焼失により宝物、棟札古文書の大半を失い、明治5年の神社改正には十分な処遇がなされなかったことは、後人の等しく遺憾と思うところである。明治24年、両社は合祀されて現在地に遷座されている。

公式HP



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