風土記の「御井社」に相当する。 大穴持命が稻葉八上比売を娶て、この里で祭神が誕生した。その産湯の井があり。故に御井と称した。 神社の付近には祭神の産湯の池と称する生井・幅井・綱長井の三つの井戸もある。 井水の神の社であり、祭神誕生の時の産湯の井の伝説により、古くから安産の神としての信仰がつづいている。 |
由緒 安産の神 御井神社由緒概略 御祭神 木俣大神(大国主大神) 八上姫大神(御母神) 御井神社が安産の神さまとして、深い信仰をうけているいわれは、日本最古の史書「古事記」等に記載されている次の古事による。 「古事記上巻 大国主神の事績」要約 大国主神には大ぜいの兄弟があったが、みんな出雲の国を治めることをことわって、大国主神にゆずってしまわれた。 その理由は、誰もが因幡の国の八上姫神と結婚して、むこうで住みたいからであった。 八上姫神は、姿も心もそれはそれは美しく、出雲の八十神たちの憧れのまとであった。 そこで、全員が求婚にゆくことになり、大国主神も従者として袋をかついでついてゆくことになった。 (因幡の白兎は、この道中の物語である) 大国主神に助けられた白兎は、次のように予言している。 「八十神は必ず八上姫を得まじ。」 因幡につかれた神々等は、それぞれに八上姫神に求婚されたが、返事は白兎の言った通り「大国主神と結婚いたします」というのであった。 それを知った八十神等は怒り狂って、大国主神を焼石や茹矢で苦しめるのである。 大国主神は、一たびは「根の堅州国」にのがれられるが、ほとぼりのさめるのを待って、再び因幡にいき、約束通り八上姫神と結婚された。 やがて八上姫神は妊娠され、大国主神と連れ立って出雲にいかれたが、大社には大変嫉妬深い須世理姫神がいて、どうしても共に暮すことが出来ない。 やむなく臨月の体でこの直江の里までひき帰された時、急に産気づかれた。 ここでまず八上姫神は、生井(いくい)・福井(さくい)・綱長井(つながい)と、三っの井戸を堀り、わき出る水をいただき、身を清めたところまことに安産で、玉のようにうるわしい御子をあげられた。 次に御子も三井戸の水で産湯をさせ、健やかに成長される様子を見とどけてから木の俣にあずけて、自分は因幡に帰られた。 これよりその御子を、木俣神又は御井神と申し上げ、当社の主祭神として鎮座になっている。 木俣神と八上姫神、それに三井戸を祀る当社は、以上のことから安産と育児の守護神として霊験あらたかで、古来多くの人々から深く信仰されている。 昔から「当社を拝み、神秘の神符(ごふ)をいただくにおいては、安産うたがいなし」と言われ、御守をしっかり身につけ、威大な御徳にすがれば、安産必定である。 木の俣の 三井の産湯の水なれば 祈らん人を 守る神垣(神詞) 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
御井神社 安産 御井神社 由緒概略 御井神社は、古事記および風土記など日本最古の史書十三の文献に記された由緒ある神社である。 そもそも当社が安産の神また水の神の租であるという謂われは、記紀に記された次の故事による。 大国主大神は因幡の白兎の神話の時むこうで八上姫という心姿の美しい女神を愛され、姫はやがてみごもられた。 臨月となられた八上姫は背の君に会いに出雲大社へ行かれたが、正妻須世理姫の立場を慮り、会わずに引き返された。 そして神奈火山の麓直江の里まで帰られた時産気づきやがて玉のような御子を挙げられた。そこで三つの井戸(生井、福井、綱長井)を順次掘り御子を産湯させてから木の俣に預け、母神のみ因幡に帰られた。 これより御子を木俣神または御井神と申し上げ、安産と水の守護神として全国からの信仰を集めている。 木の俣の 三井の産湯のみずなれば 祈らん人を 守る神垣(神詔) 社頭掲示板 |
御井神社 古墳 生井、福井、綱長井 母神八上姫が湯あみされ、また当社木俣神(御井神)を産湯なされた霊泉である。日本最古の井戸で宮中にも御分霊して祭られている。戦国時代までは境内であったという。 本居宣長「古事記伝」に 「祭神五座ノ中、神祇官ニ座ス座摩ノ御座ノ阿須波ノ神、波比祇ノ神、コノ次ノ段ニ出テ同ジ御族ノ神ナリ」とある。 つまり、水神五座の内上段にある神が生井、福井、綱長井、三柱の神である。 三省堂刊「広辞苑」に次のように紀載されている。 生井 生気ある神 子安 病気平癒 福井 (栄久井)栄える井 母子の発展 家運隆昌 綱長井 つるべの綱の長い井 母子の長寿 家内安全 社頭掲示板 |
御井神社 木俣神(このまたかみ)がご祭神である島根県出雲の御井神社は、安産と水の守護神として信仰されています。 そのため安産祈願で訪れる方が、全国から数多くいらっしゃいます。 木俣神と御井神社は、古事記および風土記など、日本最古の史書十三の文献に記されており、これが安産と水の守護神として言われる所以とされています。 古事記にも登場する歴史 御井神社および、ご祭神である木俣神の記述は、「古事記」に描かれている大国主の神話で確認することができます。 その大国主の神話には、「八上姫(やかみひめ)は大国主命のお妃・須世理姫を恐れて、御子を木の俣にかけて因幡へお帰りになった。その御子の名を木俣の神、またの名は御井の神という」という形で紹介されております。 ご祭神について 八上姫命と木俣神 ご祭神である木俣神は、大国主神(大穴牟遅神)と八上姫命の間に生まれた御子です。 元々、八上姫命は因幡の白兎の神話に登場する心姿美しい女神で、やがて大国主神の寵愛を受け、御子を身籠りました。 大国主神に会うため、八上姫命は出雲の地を訪れましたが、その途中産気づき、この直江の里で御子を出産します。 しかし、大国主神には正妻の須世理姫がおり、その立場を尊重した八上姫命は、御子を木の俣にあずけ、因幡へと引き返しました。 そのことから、御子の名は木俣神と申し上げられるようになりました。 由緒・由来 出産した八上姫命は、「生井(いくい)」、「福井(さくい)」、「綱長井(つながい)」の3つの井戸を掘り、その湧き水を木俣神の産湯としてお使いになったと言われています。 日本最古の井戸でもあるこの3つの井戸は、それぞれ安産の水神(生井)、産児幸福の水神(福井)、産児寿命の水神(綱長井)として、信仰されています。 公式HP |